廃墟



「──事件?」
月は思わずくちびるの端を苦く歪めた。
Lの言う意味がよくわからなかった。
「何、それ?」
「事件は、……事件です」
「おまえはその事件を回避するためにここに来たのか?」
「……」
Lが無言で月を睨んだ。
どうやらそうではないらしい。
物言いたげな暗い目で、Lが首をよこに振る。
「いいえ」
短く告げて黙り込む。
ゆびを口元に寄せて、かりりと音をたてて爪を齧る。
月は眉を顰めた。
Lは何かを隠している。
隠したまま、説明をしない。
そのことに対して、苛立ちを覚えた。
「L、一体なんなんだ、わけがわからない」
「すみません、月くん。でも見ていればわかります。だから」
ごちゃごちゃ五月蠅いと言外に込められた罵倒を察して月は口を閉ざした。
Lは少なからず月の能力を認めている。だから月の能力を活用するため、最大限の効果を得るために、 入り組んだ事件の仔細を説明する手間を惜しむことはあまりなかった。 最初は試すように情報を小出しにしていったとしても、最終的には手のうちにある事件の解決に必要であると思われる情報のすべてを明かした。
これまでは。
今日はいつものLではない。
何かが、おかしい。
何かが、ちがう。
月が知る、Lではない。
Lは廃墟の中空を眺めている。何かを待っている。
けれど何かを待っている表情ではない。
ただ泰然としているように見えた。すべてを知った上で、あきらめているような。
月に対しても諦めているような。
──そう感じて、Lが言う、これから起きる“事件を目撃するために、月も待つことにした。
胸の前で両腕を組んだ。その実、月の胸は、鼓動を早めていた。平静を装う心臓はスピードを徐々にあげていた。なにかが起きる。起きてしまう。予感ではなく確信のために緊張を覚えた。なぜならLが断言したのだ。
事件が起きると。




数分後。
かつんと甲高い靴音がした。
月とLが入ってきた扉の方から、ひとりの女性が現れた。見知らぬ女性だ。四十代ぐらい。やわらかそうな金髪。尖った鷲鼻。
目鼻立ちからイギリス人ではないかと月は推測した。女性は、月とLの前を素通りして、倉庫の中央に歩いていった。月とLの姿は目に入らなかったようだ。まるで二人が存在しないかのような態度だった。月はそこに、不穏を感じた。
『黙っていて下さい』
それでも言われたとおり、月は、沈黙を守っていた。
隣を見れば、Lはくちびるに指を押しつけてしゃぶっている。視線はまっすぐ女性に向けられている。表情に一切の変化はない。ただ見守るように、前を見つめている。
月は直感した。Lは、彼女を知っている、と。
なぜわかったのかと聞かれても答えはない。なんとなくそんな気がした。Lの目は相変わらず感情もなく濁って、いつものLであり、片手の指をくちびるに押し付けてくわえているのも、気だるそうな猫背を丸めている格好も、履きつぶしたスニーカーの踵も、いつも通りであったとしても、月にはなんとなくわかってしまった。
女性はあたりを見回した。
何かを確認するような素振りを見せて、手にしたバッグの中から固い鋼を取り出した。月は、思わず目を見開いた。テレビや映画では有用な武器として頻繁に利用される。しかし実物を見るのはうまれて初めてだった。
女性が手にしていた武器。拳銃だった。

そして事件は起きた。




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