警告。生理ネタです。苦手な方は回避要

満月マンゲツ膨張ボウチョウH(7日目)

「……ん、…」
ごろりと寝返りを打つ、まるまった体躯は僕に背を向けたあと、ふいにがばっと起き上がった。 不覚にも海の浅瀬でおぼれたみたいに目を丸くして、ハアハアと肩で息をする。
ぼんやりと竜崎の寝顔を眺めていた僕は、急な展開にすこしだけビックリするけれど、 即座に浮かんだ可能性はないと考える。それを呟いた時点から、十分以上経過しているのだから、きっと別の理由で目覚めたのだろう。
「どうした?」
僕が尋ねると、目を瞬かせ、愕然としたように竜崎が言った。
「わたしは…何分くらい、寝てました?」
「ええと…二十分程度かな」
「…そうですか」
「……」
瞠目したまま俯く。
寝起きの頭でなにかを素早く思考しまとめあげて、心肺機能が求めるままに深呼吸をしたついでに、竜崎は、はあーと大きな溜め息をついた。 
「さっきまで不気味な夢を見てしまいました…。夢のなかに月君が出てきたんです。 手錠でつながれていたので、たしかに月君だと思ったんですが、その正体は月君の仮面をかぶったキラで、 わたしに本名を白状させようと、脅迫するんです。しゃー、しゃー、と研いだ出刃包丁をお腹に突きつけて。…怖い人ですね」
「だから僕はキラじゃない。…というか夢すら女性じみてきたな?」
「…つまり?」
「包丁は女の武器だろ。刀やナイフのような殺すための武器とは根本的に違って、本来は、家族の命を生かすために、 他の命を奪うものだよ」
「…なるほど。なにやら呪術的ですね」
わかったようなわからないような内容のことを返答し、ちょこんと親指を唇にのせた。 首を傾げる。もしかしたら、まだ寝ぼけているのかもしれない。
しかし夢のなかは本人だけの絶対的な妄想領域とはいえ、 ここまでキラ扱いされると、哀しいを通り越して、なにやら虚しくなってくるものだ。
「僕がおまえの本名を知ったらね」
「なんですか?」
「婚姻届けに名前を書くよ。いまなら一組のカップルとして結婚できる」
「はあ…。八日後、離婚を前提なら、日本の戸籍をいくつか買いましたので、そのうちのひとつを教えますよ」
「もう少し一般感覚でジョークを言ってくれ」
「お互い様です。なにせわたしは期間限定女なんですからね。…ああ、悪夢のせいで寝汗をかきました。シャワーを浴びたいです」
竜崎が、両手を頭上で組み、んーと大きく伸びをした。ベッドの端に座っている僕の腰を足裏でトンっとかるく蹴り、退けと無言のうちに指示する。 立ち上がった僕に続き、毛足の長い高級絨毯に裸足を下ろした竜崎は、つま先でぽりぽりとくるぶしの辺りを掻く。
「じゃあ今夜はもう捜査は終わりだな。一緒に入ろう」
各部屋にはそれぞれユニットバスが備えられている。竜崎がまっすぐにそこに向かったので、僕もそれに従った。
スタスタと歩いていき、バスルームの前で竜崎は思い出しように僕の顔を見る。
「手錠を」
踵を返し近付きながら、まず自分のシャツの片袖を抜く。立ち止まり、自分の手首にかかっている鍵を解除し、シャツのもう一方の袖を引き抜く。 すぐ傍まで寄ってきた竜崎が、外れた手錠を手にしている間に、 僕もおなじようにまず片袖を抜き、付けられたままの鎖をたぐってもう片方の袖を脱いだ。 つまり僕の側だけはつねに鍵の掛けられたままで、 着脱をするのがルールだ。
僕が上着を脱ぎ終えるとすぐに手錠は、竜崎の手首に戻る。
脱衣の適度なスペースを保つようにまたもとの位置までもどった竜崎の、今日のブラジャーは、目も覚めるような鮮やかで華麗な赤色。 真っ白い体にすっと赤い絵筆で描いたように、くっきりとした赤で、貧相でがりがりとした体躯のそこばかりをグラマラスに強調していた。 熟れたリンゴみたいだと思う。
ああ、困るな。
あんなことを呟いたせいか、思考がエロティックに傾倒する。
女性特有の柔和な色香。
止め処もなく男をまどわせる麝香のようだ。
目のやり場にこまり、横を向いてズボンのベルトに手をかけながら、おもわず本音のボヤキを口にする。
「自由になりたいよ」
そうすれば竜崎のそばにいなくて済む。
僕が変化しなくて済む。
「月君。自由というのは、不自由ではないという状況を説明するための便宜的なことばです。 個人の判断基準によるもので、生きるなら、いつだってなにかしらの不自由はつきまとうものです。 月君はいま少なくとも監禁生活よりは自由のはずです。 そういうわけで諦めてください」
「………」
もはや言い返す気力も失せて口を閉ざした。リンゴの直視を避けて横を向く。
尾を引き抜いたあと、竜崎はいつものデニムを腰から膝下まですとんと落とす。 脇目で見ている僕は、内心で、どれだけサイズが合っていないんだよとツッコム。口にしたりはしない。 竜崎はこちらを気にせず、ブラジャーとセットと思われる赤色のショーツに包まれた尻をさらしたまま、 腰をかがめて足首からデニムを引っこ抜こうと一人で躍起になる。 両足首ともにデニムがからんでいる。片足ずつ抜こうとするのだが、踏みつけたデニムの裾に足をとられて転びそうになったりする。 不器用で、なんとも危なっかしいこと、このうえない。
そして僕は、そのしぐさ、丸みを帯びた尻をつきだしてじたばたと足掻く姿を、不覚にも、可愛いと思った。
「竜崎すこし太ったんじゃない?」
誤魔化すように口走ったセリフに、思いがけず竜崎が硬直する。
じろりと僕を睨んだ。
「あの」
何かまずいことを言ったか。
「……いま、なんて言いました?」
「え、…いやすこしお腹まわりとか脂肪がついてきたからね。でも悪い意味じゃないよ。胸もお尻もふくらんで、全体的に丸くなって、女性らしくなってきたね」
いきなり竜崎がしゃがみこんだ。
身を覆い隠すように胸部に腕をまわして、じとりとした目つきで僕を見上げる。
「細かいとこまで見てるな夜神月。しかもひとが気にしていることを」
低い声でぼそぼそ。
「え?」
ぞもぞと足首からデニムをはずし、うとましげに脇に飛ばし、立ち上がる。
「そんなところまでチェックしてるなんて、月君はエッチですね。というか気分が悪くなります。見るな
素っ気なくそっぽを向き、腰を覆っている赤いショーツの両端に親指かける。
どうやら今までがスリム(過ぎた)ために、それが性別の変化による必然のものであったとしても、 少しの皮下脂肪すら癪に障るらしかった。
女性なんだから構わないのに、微妙な乙女心というやつだろうか。僕は、その可愛らしい拗ね方におもわず苦笑した。
「女の子はすこしぽっちゃりしてた方が可愛いって、大概の男は思っているらしいよ」
「根拠薄弱な一般論かつ、伝聞形式のご意見は、まったく参考になりませんね」
「じゃあこう言おうか。デブってても、竜崎は竜崎だ
「月君、本気で蹴りますよ!?」
「ははっ」
「……っ」
「ん?」
竜崎が、そのとき再び硬直した。
「どうした?」
竜崎は、たったいま太腿まで引き下ろしたショーツを凝視し、愕然としていた。
「…ああああああっ!!
いきなり意味にならない素っ頓狂な声があがった。
それは普段、淡々とした指示ばかりで、大声を出すことが滅多にない竜崎にとって、叫び声とも言えるものだった。
度肝を抜かれて唖然とし、しばらくただただ絶句してしまった僕は、叫んだあともショーツの真ん中を覗き込んだままの、前屈姿勢で硬直し続けている、おかしな人を見つめ、 ごくりと唾を飲んだ。ゆっくりと深呼吸をして、おっかなびっくり訊いた。
「…ど、どうしたんだ、竜崎?」
僕の声に、金縛りの呪文を解かれたように竜崎が顔をあげる。
絶叫が嘘のような、平素の無表情だった。
ひとこと呟いた。
「セイリです」
……は?
即座には飲み込めなかった。
いや正確に言えば、僕としたことがセイリという単語が、漢字に置き換わるまで、やや時間を有してしまった。
唖然としている僕を尻目に、竜崎はばたばたと大急ぎでショーツを脱ぎ、両手の親指と人指し指をつかって、腰口を大きくひろげ、 たったいままで履いていたショーツの内股の部分を躊躇いもせずにのぞきこむ。そのまま顔面に被ってしまうのではないかと恐ろしくなるほどの密着だった。
その変態じみたしぐさに、僕はとてもいやな予感を抱いた。
誇張でもなんでもない。
本気で逃走したくなった。
そして、次の瞬間、予想のとおりのことを竜崎は、した。
「見てください月君。パンツに血がついています
うっ、が
つまり竜崎は、その腰口を大きくひろげたショーツの内側を、なんの恥じらいもなく、僕にむかって突きつけたのだ。
頭のてっ辺まで赤面するような羞恥に、しかし仰け反りかけた身体は、かろうじて押しとどめる。
「りゅ、竜崎…」
直視できず、眇めるようにしか見ることのできない、赤いショーツの中心は、どうやら── 湿って濃い色に変色しているようだった。
「…よく見えないんだけど」
「というか、見てないんでしょ?
「あ、ええと、まあ…」
「たかがこれくらいで、しかたない人ですね」
ぼやいて、やおら自分の股のあいだに指先を忍び込ませる。
「………」
うわべだけを撫でるように指を動かし、翳りのあいだから、ふたたび現したとき、その指腹にはうっすらと朱色が付着していた。
「ぎっ」
ぎゃああっという悲鳴は、無論、僕の品性に関わることなので、声になる寸前で抹殺する。 (ここでは過去は振り返らないものとする)
毛穴から汗が噴出す。女性の性の生々しさ。
直視させられて、ますますと頭に血がのぼった。
しかしそれに気付いた瞬間、胸に、冷えた空気が吹き込んだ。血の気が下がった。
成人女性の定期的な出血、生理的な、── 月経、── もしかしたら竜崎にとっては初潮かもしれない。 子宮内膜の剥落、必要ではなくなった栄養の絨毯が、タプン、タプンと血とともにこぼれおちる。
それはつまり…。
気付いたとき、僕の足元の床がふいに消滅したような、絶望感におそわれた。
おもわず顔を伏せ、こめかみに手を当てた。
「…困りました」
薄く紅色に染まる指先を興味深げに弄りながら、竜崎が呟く。
口ほどに困っていない。
むしろ状況を愉しんでいると察せられた。
退屈をまぎらわしてくれるなら、なんだっていいのかと毒づきたくなるのは、僕だけが抱えている余裕のなさが原因だ。
「女性用の生理用品を買わなければだめですね」
「…そうだね。だから竜崎」
俯いたまま、僕はつかれた声で提案した。たぶん面倒な状況に陥ることは目に見えているが、流れる血をそのままにはしておけない。 部屋のデジタル時計に素早く目を走らせる。午前零時を過ぎてしまっている。きっと寝ている。 それでも背に腹は変えられないというか、溺れるものは藁をも掴むというか、とにかく頼れる人はひとりしか思い浮かばず、 なにしろ緊急処置が必要だった。
「生理用品、ミサに買ってきてもらおう」
「はい?」
そこに辿りつく会話だと考えていなかったらしい竜崎が、きょとんと目を丸くした。
沈黙し、しばし考え込んだのちに、冷静に指摘する。
「それはどう考えても、小型台風の中心部に、セスナ機で突っ込むような無謀さではないでしょうか?」
自殺行為ではないのか? と。
それはまったくもってその通りなのだが、見た目も中身も男性である僕と、 女性でありながら見た目はまだまだ男性らしさ(つまり自意識から滲み出る男っぽさ)を残している竜崎と、 その他は完全なるオヤジたちしかいないこの捜査本部において、紅一点であるミサ以外、いったい誰が 迅速かつ何のトラブルも発生させずに、ドラッグストアもしくはコンビニなどの商店にて、生理用品を購入できるのだろうか?
他にどうすりゃいいのか、 是非ともその優秀な頭脳で検討し、お教え願いたいものだと、僕は、ふてくされながらも真剣に思った。


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