警告。生理ネタです。苦手な方は回避要
満月に膨張I(8日目)
「ミサさんに事情を話すんですか?」
あきれきった表情で、竜崎が僕を見つめてため息をつく。
「そういうつもりだと答えたら?」
「月君の問題解決能力に対する評価は、三十%減です」
「……」
失礼を通り越して呆れるような言い草だ。
僕は腕を組んで、斜めに見下げるような態度で問い返す。
「だとしたら、どうすればいい?」
「月君が考える以上に世の中にはおかしな状況が溢れているんです。
月君は、わたしたちが手錠でつながれていることや、わたしの外見が男性にしか見えないことを気にして、ミサさんを頼るという
方法を提案したのかも
しれませんが、しかしいまどき男性の女装趣味も、倒錯した性の遊戯で拘束具を使用することも、よくあるでしょう?」
「………」
まさか実行するつもりなのだろうか。
──女装…。
「いや、しません」
「………」
「本当です。しません!」
疑いの眼差しに対し、竜崎が本気で否定した。
「…そりゃ良かった」
ひとまず安堵する。このところの竜崎の奇行からすれば、実行しかねないと真剣に懸念したのだ。
「店員に変態扱いされるのは、わたしだって真っ平です」
言いながらティッシュボックスに手を伸ばし、数枚を取り出す。白い端をつまむように持ち、
丁寧に重ねて折りたたみながら、楽しげに口許を歪ませる。
ショーツをつま先から通して穿きなおし、膝のところでとどめ、折りたたんだティッシュを当てる。
即席対応だった。
──それで本当に大丈夫なのか?
「そういうわけなので。コンビニなり、薬局なりを貸しきりましょう。一時間程度なら百万もあれば十分。深夜なので、客足も落ちているし、すぐに手配できます」
赤いショーツを引き上げる。ブラジャーの紐を肩にかける竜崎を見ながら、僕は、ただ言葉もなくあきれた。
──おまえはどこの富豪刑○だよ。
竜崎が貸しきったドラッグストアは、新宿区役所通りと花園通り交差点にある店だった。
松田の運転で、その店頭を通り過ぎる。
さすがにJRの終電も随分まえに出た時刻だ。客引きも酔っ払いもほとんどいない。
店のシャッターは閉まり、
その前に、若者が数名、手持ち無沙汰のようすでたむろしていた。
興味深げにあちらこちらへと視線をうろつかせている。竜崎の来店の都合により、店内から追い出された従業員たちのようだった。
「松田さん。脇道に入り、店の裏手に回って下さい」
「はい」
竜崎の指示に従い、ハンドルを切る。
従業員たちは、あからさまに場違いなリムジンに対して訝しげな視線を送ってきたが、
スモークガラスなので、こちらの内側をうかがい知ることはできない。
「…さすがだな。竜崎」
解決策を提示してから、わずか一時間のうちに手配を済ませた。
「わたしの力ではなく、交渉にあたってくれた捜査員と、お金の力です」
「その財力はおまえ自身の稼ぎだろ」
「はい、そうですね」
あっさりと肯く。
竜崎は、車内でも膝を抱えた姿勢だ。身体の具合はどうなのだろうかと心配で聞きたかったが、
松田がいるので迂闊なことは話せない。
「それでは松田さん。一時間後に迎えに来てください」
「………はい」
停車した車から降り、竜崎がそう言い置いてドアを閉める。またもひとり蚊帳の外に置かれる形となった松田は、
叱られた子犬のようにしょぼくれた目をして主人を見つめ、それでも言いつけどおりに孤独なドライブへと旅立った。
竜崎は、ぺたりぺたりと呑気な足取りで店の裏口に近づき、薄汚れた灰色のドアノブをまわす。
鍵は掛かっていなかった。
入ってすぐに、天井までとどく棚が両側に置かれている。商品倉庫と化した狭い廊下を縦一列になって通り抜け、
奥の扉を開いた。
開かれた向こう側は、妙に明るい店内。
キャッシュレジスターが置かれた、カウンターの内側だった。
「ええと…、生理用品ってどこですか。月君?」
「僕が知るわけないだろっ」
「そうですか? 月君は何でも詳しいから、知っていると思ったんですけど…」
あまりにも失礼な誤解だと叱り付けてやろうかと思ったが、途中で思いとどまった。
竜崎の機嫌を損ねるような言動は、控えるべきだと計算した。
僕には、どうしても買わなければいけない商品があるのだ。
ぐるりと店内を見回し、笑みを引きつらせつつも、穏やかさを取繕う。
「…スーパーは、どの店舗でも入り口に青果、奥に惣菜や乳製品などの日配を置くよね。
ドラッグストアにもそういった商品配置の統一性があるとは、聞いたことがないな。
各社ごとにはシュミレーション分析をしているのかもしれないけど…。とりあえず奥の方に行ってみようか」
「奥ですか?」
「女性のデリケートな部分に関わる商品だからね。入り口のまえに、堂々と置かれることはまずないだろ?」
「なるほど」
僕の見解にいたく感心したようすで目を丸くする。僕としては恐ろしく杜撰な推論を述べたつもりだったのだが…。
疑わしいこと甚だしいが、その真偽をたしかめる術はない。じゃらりと鎖を鳴らして歩き出した竜崎につづき、
あかるい店内で捜索をはじめる。
店内の各棚には、それぞれプラスチックのカードが掲示され、品名が表示されている。
きょろきょろと見回している途中で、買い物かごを発見した竜崎は、なにやら今回の目的とはまったく関係のない商品までも、
手当たり次第に、かごのなかに放り込んでいく。
「…そんなに買ってどうするの?」
「どうする? …どうしましょうか。日本のドラッグストアで買い物をするなんて、久しぶりなので。つい…」
「……ああ、そう」
出金元は竜崎の懐からなので好きなようにさせよう。
愉しんでいるみたいだし。
竜崎は、気になった製品を手にし、ラベルをじっくりと読み込んだかと思えば、そのまま棚に返してしまったり、
かと思えば隣にあった商品をパッと手にして、かごに放り込んだりする。無計画の権化のような行動だったが、苦言は呈さない。
菓子を食する以外のことで、こんなふうに愉しそうな顔を見るのは初めてだった。こどものように目を輝かせている。そんな竜崎のようすは、単純に微笑ましかった。
── そして、僕にとって好都合でもあった。
だんだんと品が増え、重そうになってきたところを見計らい、
「僕が持つよ」
と、フェミニストのような進言をする。
「ありがとうございます」
「ところで、会計はどうするんだ?」
「店舗の借用料に含まれています。可能であれば、POSレジスターでジャーナル管理をして欲しいと店の方からの要望はありますが、
正直言って使い方がわかりません。その点は諦めてもらいましょう」
これは推測なのだが、恐らくバーコードチェックが面倒なのでわざと事前に使い方を確認しなかったんだろう。
竜崎ほど用意周到な男── じゃなくて女が、
うっかり失念するはずがないのだ。
「購入商品は、のちほど松田あたりにチェックさせ、一覧にして送付しておきます」
その一言で片付けて、ふたたび買い物天国に舞い戻る。
とりあえず松田に「さん」を付けろよ竜崎。
そのうち竜崎が、ある棚のまえに張り付いて一歩も動かなくなった。薄水色や桃色のビニルパッケージ。
「多い日用」「特に心配な夜用」「いつまでも新さらさら感覚」などといったコピーが、目の端にチラつく。
僕にはいささか近寄りがたいオーラを放つその近辺で、幸運にも、僕が絶対に買わなくてはいけない商品を見つけた。
「竜崎、コレも買っていいか?」
「はい?」
語尾上がりに返事をし、一拍を置いてから、こちらを振り向く。
黒い大きな目がいっしゅん固まった。
ぱちぱちと激しく瞬きをする。
「コンドーム」
かの長者番組の印籠のように見せ付けつつ笑いかけると、竜崎はあきれた様子で目を眇めた。
「はあ…」
「いいだろ?」
「勝手にしてください」
「ははっ。おまえだって使うだろ。たくさん買っておこうかな」
言いながら一度に複数の箱を手にして、カゴのなかに入れた。
竜崎はもうこちらを見ようともしない。
── チャンスだった。
近くに配列されていたことは、僕にとって幸運だったが、購入者に対する皮肉のようにも思えた。
刹那の緊張。
しかし表情にもしぐさにも、そんなことは僅かにも滲ませず「生理予定日当日から検査できる」と書かれた商品を、
コンドームと一緒にそっと置いた。
あとは何食わぬ顔で、さらにコンドームの小箱を乗せる。
竜崎がぽいぽいと投げて寄越す商品も、そのうえに被せるように置く。
そうして僕の思惑は、隠蔽される。
コンドームやら生理用品やらの避妊・非妊の下に隠されるのいうのは、おかしな話だった。
僕は真逆を疑っているのに。
── 月経。
子宮内膜の剥落、つまり必要ではなくなった胎児の栄養の絨毯が、こぼれおちること。しかし僕はまだ疑っていた。
本当に今回の竜崎の身のうちで起こっている現象は、月経なのか?
違うのではないか?
初めてのセックスで竜崎が僕に言ったこと──。
「月君。羽根付きと羽無しって、どちらの方がいいんでしょうか?」
── 欲しいのは、月君の。
「だーかーらー、僕が知るわけないだろっ」
── 月君の?
その先のセリフを、かごの底に隠した妊娠検査薬で確かめる。
生理の血を見せつけられたときに、足元の床がふいに消滅したような絶望感におそわれたのは、
ミサに対する恐怖だけではなかった。
僕は望んでいる。
「月君は、なんだかんだと言いつつも詳しい人です。称揚に値します」
「詳しくなんかないっ」
「あ、タンポンってどう思います。前から不思議だったんですが、これは入れたまま、出せなくなったりしないんでしょうか?」
「…おい」
「ここに入れたら、異物感でちょっと感じちゃったりしないんでしょうか」
「…頼む。もうそれ以上、聞くな」
「どう思います? というか入れてみますかいっそ試しに」
「……さっきコンドームでからかったことの仕返しか?」
「え、そんなことありませんよ?」
そんなことあるようだ。
ちがいますよと否定しつつ、心底愉快そうに言葉攻めを繰り出し続ける。
羞恥心に頭を抱えながら戯言をやめるように哀願する、僕は、竜崎のお腹に、僕の子がいるかもしれない可能性をまだ完全に捨ててはいなかった。
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