月の光を浴びることは体に良くないんです。 あくまで、わたしの場合の話です。
満月に膨張A(1日目)
急遽集合を掛けられた捜査員のあいだには異様な沈黙が横たわっていた。
絶句しているのだ。
いずれの視線も名探偵のロングTシャツの胸元と、適当にハサミを入れられたデニムの臀部を行ったり来たりしている。
切り抜かれたデニムからは、黒くてふさふさとした獣の尻尾が生えているのだ。
衆目を浴びつつ、朝食代わりのシフォンケーキをフォークで切り分けている竜崎だけが普段と変わらぬ様子。
周囲のすべてを無視して、自分の欲望(すなわち洋菓子摂取に対する執着)を優先させる根性だけはとにかく素晴らしいと僕はぼんやり思う。
そして漸くと口火を切ったのは、暖かい紅茶を飲み干し、ほっと一息ついた迷(惑)探偵だった。
「そろそろお話しても宜しいでしょうか?」
さっさと話せ!!
一同、同時に思った。
竜崎は一同の反応をかるく無視して、前置きした。
「月の光を浴びることは体に良くないんです。あくまでわたしの場合の話です」
それはおそろしく突拍子も無い話だった。
「わたしは東ヨーロッパのある地域に暮らしている、ある民族の血を引いています。厳密に言えば、その地域で生誕したわけではありませんが、それはここでは割愛させていただきます。その地域の具体的な地名・民族の俗称等は話せませんし、もしお話したところで実際に発見することは難しいでしょう。彼らは必要に迫られて外界との交流を拒絶し、独自のライフサークルを作り、自身らの生態を秘匿して暮らしています。また政治的保護監視下にもあり、接触を試みるなど不可能に近い。
そうまでして隠蔽しなければならないことは、つまりこのわたしの姿、満月の晩に月光を浴びると獣人化する、リカントロピーの特性を持っていること、俗にライカンスロープやワーウルフと呼ばれる変態性の生体を有しているということです。
生物学的には食肉目イヌ科のオオカミ種とホモ・サピエンスの双方の特徴を持つそうですが、詳細はいまだ謎につつまれています。仮にもヒトですので、生体分析は生命倫理面において憚りがあり進んでいないのです。ちなみに単体生殖体ではありません。また通常はうまれたときの性が死ぬまで変わらないものです。しかし稀にわたしのように、満月の光を浴びてフィメール化するものが」
「竜崎。もういい。もういい! つまりおまえは僕らを煙に巻きたいんだな?!」
途中で腹が立ってきて、竜崎がもっとも嫌うという『途中で話を遮る』という暴挙を僕は選んだ。
あからさまに機嫌を害したふうの竜崎が僕をじろりと睨む。
「…月君。わたしが嘘をついていると?」
「そうだよ!」
「何故ですか?」
「だって話が矛盾しまくりだろ? 政治的保護だの秘匿だの、そんな話をベラベラと話して、”嘘じゃない”なんてありえないだろ?」
チっ。
「わたしの生体を語ると素性がバレますので、やはり皆さんにはお話できないのです」
魂胆をあっさりと暴露して、すみませんねとあたまを掻きつつ、なんなんだその直前の舌打ちは!?
僕の怒気を無視して、困った顔付きを創作し、竜崎はまたあたまを掻く。
「この姿は皆さんに余計な混乱を招くだけだと思い、隠し通すつもりだった」
「…そりゃ混乱するよな。まさか人間じゃないだなんて」
と、相沢が肯く。
「………はい」
少々勘違いしているようだが、説明するのもめんどうなので竜崎は聞き流すことにしたようだ。
「しかし昨夜は満月でした。それが」
「あっほんとだー!」
松田がハっとして、テーブルのうえの朝刊を手にとり、第一面の気象情報欄を見て素っ頓狂な声を上げた。
「ちょうど満月だったんだ! 天気は晴れだし月が奇麗だったろうね!」
そのあまりの大声に、竜崎はうとましげに耳をふさぎ、
「…で、このような姿になってしまった」
と纏めた。
松田の(バカの)せいで、本格的に説明する気が失せたようだ。
松田のバカのせいで。
僕はタメ息をおとしつつ、再度、
「嘘をつくな竜崎」
と言及した。
「どうして月光を浴びたりできるんだ? 昨夜、僕らの部屋のカーテンは閉められていたし、僕らは手錠でつながれていて、鎖は窓まで届かなかった。そんな状態でいったいどうやってカーテンを開けることができたんだ?」
「はあ。その点に関しましてはあくまで推測の域を出ませんが、
おそらく月君はわたしにとって”月光”と同じ、病的な魔力をもって魅了してくる存在であるためだからだと思います。迂闊でした。アンコンシャスのうちに、わたしはあなたのことを」
「ハっ」
「……遮った上に、鼻で笑いましたね?」
「ははは。世界最高の探偵☆竜崎って存在自体がすでにファンタジーだからね。もうどうだっていいよ?」
「投げ遣りにならないで下さい」
「黙れ。いったい誰がそうさせているんだ」
「わたしのせいだと言うんですか?」
珍しく竜崎が語気を強めたので、僕はおもわず口をつぐんだ。
苛々と爪を噛みながら、竜崎は声を荒げたことをすぐに後悔したふうだった。
「すみません。大きな声を出してしまいました。…わたしもこの状況に困惑しているんです。この姿になったのは二度目です。以前は幼かったので体型の変化もあまり気になりませんでしたし、何より環境が違いました。わたしはまだ幼く、完全に保護されるだけの存在だった。
しかしいまは成人しています。わたしには”L”という立場がある。厄介極まりないのです」
「……そか。ごめん」
「はあ」
ぽりぽりと黒髪を掻き、またすみませんと口の中で呟く。真剣に謝罪しているかどうかはさておき、困惑していることだけは確かなようだった。
しかし立ち止まっているわけにもいかない。竜崎にはキラ捜査を指揮するLとしての立場がある。
倦んだようなため息をつき、ともかく、と竜崎はつぶやいた。
「とにかく半月もすれば消えてなくなります。わたしはその血筋の傍流で、平たく云えば血の影響は薄いんです。前回も新月の頃には治まりました」
相沢がぶつぶつと呟く。
「…満月…新月までの辛抱。半月…二週間…」
「ご迷惑をおかけいたします」
竜崎がぺこりと頭を下げた。
と、まあ、半月に及ぶ騒動の始まりはこんな感じだったわけだ。
|