退屈


どちらかと云えば眠りの浅い方なのでしょう。
子供の頃から、訳もなく暗闇の中で目覚めてしまうことがよくありました。
特別な理由はないのです。
ただ目覚めてしまう。そして眠れなくなる。
どれほど寝返りを打とうとも、眠るように暗示を掛けても眠れない。
 
退屈でした。
時間だけがたくさん余っていました。
何かをしなければ退屈をまぎらわすことができない。それはあたりまえのことなので、幼い私は、 昼のうちに空白の多い頭に詰め込めるだけの知識を詰め込んで、眠りに挑みました。 夜、眠りに落ちない時間をつかって、知識の生理整頓をしていれば、退屈をまぎらわせることができました。
私は幼く、世界は広く、知識はまぼろしのように未だ現実感を伴わなくとも、目を皿のように広げて虚空を見つめ考えていました。 私は知りたいと思っていました。世界の仕組みが知りたかった。そこで人はどうやって生きているのか知りたかった。
退屈だからと言って、誰かの平和な眠りを邪魔することは、豊かな子供のわがままです。
それに私は負けず嫌い。
自分自身にだって負けるつもりはない。 

地上20階。
カーテンの隙間からイルミネーション。
成長しても私は私のままです。夜に目覚めてしまいました。

けれど退屈ではない。
子供の頃とは違う。
それは、縁日の屋台で見かけるような鼈甲飴の色をした、
奇麗な髪の青年がとなりで眠っているということです。
彼は、多少神経質な性格らしく、他人(=私)と手錠でつながれる生活に疲れているのか、
こうして髪をゆびさきで梳いてみても起きる気配がありません。
さらさらと絹糸のように繊細で手触りのいい髪です。彼の性質そのもののように真っ直ぐです。二十歳にとどかない青年の寝顔は、高校生のころ、監視カメラ越しに見続けたころよりはずっと大人びてきましたが、それでもまだ幼さを残しています。
早熟の知性。それがこの髪の下に隠れています。早生の白いイチゴのような青々とした世間知らず。無謀。短絡的で危い。しかしその危さを覆い隠してしまう、鋭い知性。不幸にもそれが彼を残酷な犯罪者へと変貌させた。私が知っている夜神月。

手錠でつながれ、彼とともに生活するようになって知ったことがあります。
憤りを感じると彼は、頬を紅潮させて拳をふるいます。
理路整然と相手を論破するタイプかと思いきや、とつぜん実力行使に打って出てきたので、私は思い切りパンチを食らってしまいました。(もちろんやり返しました。)
それに譲れないことに関しては、けして持論を曲げない頑固者です。私と比肩するほどの負けず嫌いでもあるので、意見が対立すると最終的には殴り合いの喧嘩になります。
(私は夢を見ているのか?)
(これは私が命を懸けて追い詰めると挑んだ、キラなのか?)
彼は、愉しいことがあると晴れ晴れとのびやかに笑います。
もっとも残酷な犯罪者。それが私が知っている夜神月、
そのはずなのに、
思いがけない一面ばかりを見せられる、
私は、夜神月と過ごす日々を瑞々しく新鮮に感じている。

(夢はいずれ醒める。)
(どんな幸福な夢も、目覚めることが前提だ。)
(現実を生きる。夢の中を生きることは生活と呼べない。)

そうだとすれば願ってしまうのは、敗北でしょうか?

…もう少しだけ、このままでいてください。もう少しだけ、眠っていてください。 目覚めないで居てください。私の傍にいてください。私は彼に離れがたいものを感じている。 彼はキラ。私は追跡者。これは幸福な夢。私は雲隠れした新月を追い求めている。夢を見ていると知っている。しかし愚かに願ってしまう。もうすこしだけでいい。いまのあなたのままで。キラではない、あなたのままで。この矛盾のままで。
哀しい笑みを浮かべるようにほんの少し唇をゆがめて、その唇を、彼の形の良い耳に近づける。
「……キラ。目を覚ませ」
若い肩がピクリと揺れた気がしましたが、目の錯覚でしょう。
微塵の乱れもなく、寝息が繰り返されます。夜は優しくすべてを夢に置換する。健やかな男性の寝息は耳に心地よい。これも夢。彼の髪に触れている私の指は、ふたたびさらさらと砂を零すように動きます。 私が眠たくなるまで延々と繰り返します。
そうして私は念じます。どうか目覚めないでいて下さい。眠りの中にいて下さい。夜、私が目覚めてしまったときには、 あなたの髪を触れさせて下さい。私が犯罪者を追うことで、眠れない夜の退屈をまぎらわす必要がないように。キラに対する執着を捨てきれない私が、あなたを死刑台に送らなくてすむように。


長き世の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな



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