「僕はもしかしたら『血』が見たかったのかもしれない」
「…物騒なセリフだなライト?」
「ノートって人が死ぬところを実際に見る機会が少ないから」
「ん?」
「現実的じゃないんだ。人の死がさ。だから僕は血が見たかった」
「そうか」

轢殺されたバスジャック犯の血溜まりは、アスファルトの舗装路にじわじわと広がり、黒く光った。間近で死体を見るのは二度目だ。だから知っている。血が赤いなんていうのは、肌のうえだけの美しさ。轢殺体の血は黒い。直前まで生きていた人間の内側から染み出してきたとは思えないほどに、どす黒いタール色をしている。
あれはすべての人間に共通の色だろうか。それとも腐った人間の内部から染み出す血の色だけが、 その人の生き様どおり腐った色をしているのだろうか。だとしたら犯罪者を殺しつづける僕の血はどうなっているのだろうか。

「っ」
その痛みに一瞬、息を呑んだ。
ベッドに寝転びリンゴを齧るリュークが、ライト?と怪訝な声をあげる。僕は机にむかい座っていてそのまま振り向かない。シャリリ、シャリリ。リンゴを咀嚼する瑞々しい音。僕はぷっくりと血の玉がうかんだ指先を見つめ、指腹の肉を親指で押し上げるようにしてますます出血させた。
「ライト、何している?」
「練習」
尖った針先。血を掬い、ノートの紙片に文字を書く。僕の血はまだ赤い。
「ふうん。自分の血で人を殺すレッスンか」
「…あらゆるケースを想定してるんだ。もしかしたらシャーペンや字を書くものが無い状況で、人を裁く必要に迫られるかもしれない」
「そんなこと有り得ないだろ?」
「先のことはわからないよ」

黒い死神は「そおかぁ」とわかったようなわからないような曖昧な声を出す。シャリリ、と林檎を食む。

普遍と退屈に満ちた死神界で暮らしてきた、おまえにはなじみの無いことかもしれないけれど、こっちはそうもいかないんだよ。先のことはわからないよ。だって少し前じゃ考えられなかった。あれだけ退屈を持て余していた僕が、 いまはこんなにも興奮しつづけている。僕が冷静な人間だなんて嘘だった。退屈だから冷めていたんだ。 僕はずっと興奮している。あの日、あのとき、僕の目の前におまえがノートを落とすまで、僕は興奮することを知らなかったんだ。退屈だったのに……



NEXT 退屈