警告。Lがウエディと絡んでます。描写は抽象的にしていますが、苦手な方は回避要。
おんな


 微笑むウエディを見つめながら、後ろ手に、ぱたんとドアを閉めた。
 いつもなら私のあとに続く月の存在を部屋に招き入れてから、手錠の掛かっていない側の手で閉める。
 些末なちがいであるのだが一瞬、違和感を覚えた。
 手錠のなくなった手首は心もとないほどに軽い。
 月を捜査の部屋に残したまま、私たちは別の階の一室に移動した。先に部屋に入ったウエディは、部屋の右端に据えられたダブルサイズのベッドの端に腰を下ろして、美しい脚を優雅なしぐさで組んでみせた。彼女は武器の扱いに慣れている。すなわち自身のセクシーな姿態がいちばん映えるラインを知っているのだ。こういう女性をいい女と云うのだろう。
 私は彼女のまえに歩み寄り、しゃがみこみ、タイトなスカートの下に手をすべらせて引き締まった太腿に触れた。繊細でなめらかな薄い布地に包まれた太もも。ストッキングの上から触れた久しぶりの女の肌は、筋肉が密に詰まってしなやかなくせに、ひどくやわらかかった。
 そう、不思議なほどに。
 本当に柔らかいと感じた。
 ここのところずっと男の身体に触れていたから余計にそう感じるのだろうか、と思う。
 私の相手はずっと―もう四ヶ月近くも―夜神月ひとりだけ。
 だから、か?
 ―おかしな話だ。
『なぜ笑っているの?』
 私の唇に浮かんだ笑みを抜け目なく見つけたウエディが華奢な小首を傾げて見せる。
 サングラスを取り、奇麗な碧眼を見せつけながら身体を寄せてくる。座ったまま深く腰を折るとくっきりと深い胸の谷間が覗き、私の眼前に迫った。
『すみません。ちょっと思い出してしまったんです。別の相手のことを』
『ひどいわね、こんな状況で』
『すみません』
『比べているの? Lの恋人と、私を?』
『いいえ、ちがいます。そんな相手じゃありません』
 私の否定を聞かぬ振りをして、女は面白がるように目を瞬かせ、ますます身を深く沈めて肌を近づけてきた。
 彼女からは熱帯に根を生やした樹木の果実が熟しきり朽ち果てる寸前のような匂いがして、なんという名前の香水だろうかと私は思った。それらについて無知で、かつあまり興味のない私には皆目わからない。マンゴーと薔薇が混ざったような華やかで甘ったるい匂いだ。
『ウエディの肌がとても柔らかくて、驚きました』
『そのひとは私よりも“固くて”魅力的?』
『どうでしょう。比較できない相手なんです。気分を害したのなら謝ります』
『そう?』
 謝罪のことばで冗談すらもはぐらかされたと解釈したウエディは、チャーミングな仕草でちいさく肩をすくめてみせた。そうして手を伸ばし、私の髪のなかに華奢な指をさし込んでゆっくりと前髪をかき上げる。
 私は彼女のガーターベルトのホックを外し、薄手のストッキングが破れてしまわないように丁寧に下ろしてハイヒールと一緒に脱がせていった。彼女は太腿丈のストッキングを穿いていたのだ。鼻先を近づけてみれば、くしゃくしゃに丸まったストッキングからはウエディの胸から漂っている香水と同じ匂いがした。
『ウエディ』
『何?』
『ひとつ聞きたかったのですが、あなたは、私の何に興味がありますか』
『― そうねえ』
 赤いエナメルの伸びた爪。
 おなじほどに赤い、果実のような紅の口びる。
 愛おしそうにゆっくりと私の頭皮を撫でていく。まるで恋人を相手にするように、私に顔を近づけて、眼を細めて微笑む。
『声、ね』
 ウエディは愉しげだった。
『セックスも、女も、まるで興味のなさそうな顔をしているLが、どんな声を出して、するのか。いくのか。興味があるわ』
『……声ですか』
『ええ』
 歌うような応え。
『私はね、男の声、セックスするときの声が好きなの。男が感じているときの、あの声って、偽りがないように思う』
『どうでしょう。男だっていろいろいますよ』
『普通の男はそれを偽らないわ。セックスは男にとって原始的な行為だから。必要がない』
『原始的な?』
『本能に近いでしょ。内側からの』
『そうでしょうか』
『―でもLは偽りそうね』
『私が』
『だって嘘吐きだから』
 と言って、ウエディはくちびるを美しい形に歪めた。
『Lは嘘吐きだから』
 レッテルを貼り付けて刻むように。
 そうして私の反応を伺うように繰り返す。ウエディが顔を寄せてくる。
 蠱惑的な甘い匂いが強くなる。
『女の声に男は興奮するでしょう? 同じように女もね、興奮するのよ。そういうのってわかるでしょ』
『ウエディは』
『だから今日は、Lの本当の声が聞きたい』
『―面白いことをいいますね』
『そうかしら。だからLが派手に喘ぐといいのにと思うわ。―ねえ聞かせてよ。Lの内側からの声を』
 私は嘘吐きなオバケ。
  嘘をどこまでも食い尽くす。
  喰らわれる。
  オバケ。
 

 ―以前、どんなふうに女としていただろうか?
 ふと思う。
 私は記憶力の良い方なのだが、犯罪捜査と関わりのないことはなぜかすぐに記憶から消えてしまう。
 もとより覚える気力がないからだろう。過ぎ去った日々を掬いあげようとしても、砂屑がさらさらと指の間から砕けて落ちて消えるように思い出せない。以前の女との記憶。最後にしたのはいつだっただろうか。思い出そうとしてもイメージできず、代わりに記憶の中、鼓膜のなかで再生できたのは、夜神月に内側を突き上げられて煽られて媚びたように鼻腔の奥から呻く、女としての自分の嬌声だけだった。
 想起した一瞬、背筋に痺れが走って息を詰める。身体の奥が熱くなるのを感じる。刻まれた快楽が私の内側に揺さぶりをかけてくる。
『L、何を考えているの?』
 くちびるに指を寄せて黙り込んでいると、ウエディが柔らかい口調で問いかけてきた。
 前髪の下から上目遣いに見上げた先に、色素の薄い瞳孔とフレアにも似た模様の光彩が瞬いている。
『ウエディのことを考えていたんですよ』
『下らないジョークね』
 白々しい言いざまを、ウエディは微笑ひとつで切り捨てる。
 嘘吐きに用はない。
 そういうことなのだ。
 私はストッキングを床に捨て、彼女の目から逃れるように視線を伏せ、細いウエストのくびれに手を伸ばした。引き締まったウエストの、止め具を外してゆっくりとジッパーを下げる。タイトなラインのスカートを寛げていく。
『L。今度は私に聞かせて』
『何を?』
『Lは、私の何に興味があるの?』
 質問の形を変えてそのまま投げられる。
 寸陰、沈黙した。
 なぜ、こうして彼女に触れているのだろう? そうして、
『ウエディが女であること、です』
 告げてウエディの目を見た。
『―ふふ』
 女は愉しそうに笑っていた。
 ゆっくりと自らうしろに身を倒してベッドのうえに仰向けに横たわる。
 なめらかな肢体をくねらせて、ベッドの高いところから私を見下ろす。どうやらお許しが出たようだ。
 ベッドに伸びた女を跨ぎ、片膝を乗せて見下ろしながらスカートのウエスト部分を雑に広げる。押し込まれていた衣服を引き摺り出して脱がせてゆく。
 横たわっても崩れない胸の形。女の両脇に手をついて四つん這いになり、女を見下ろす。ブラジャを引きずり上げて、露になった胸元から首筋にかけて唇を寄せてそっと吸いあげる。餅のように柔らかい白肌。後れ毛の下に鼻先を押込んでくびすじにキスをしたとき、わずかに頭髪の根元がブラウンであることに気付く。彼女の金髪はどうやら染めているものらしい。幻想的ヒエラルキー。
 おとなしくされるままだった彼女の手が伸びてきて、デニムのうえから私の陰部に触れてくる。ゆっくりと下から撫で上げて熱を煽る。
 指先は小さなヘビのようにするりするりと動いてデニムのジッパーを器用に下げる。開いたところから入り込んできた女の指は、華奢でいて、やはりひどく柔らかい。
『L』
 吐息に消える微かな響きで、女が私を呼ぶ。
 うずめた首筋から顔をはなして、すぐそばにある赤い唇にキスをしようとすると、女は厭わしげにノーと呟いた。欲しい物はそんな子供騙しじゃない。
 陰部を手のひらで強く押されて、思わず低く呻く。その声を聞き、女は愉しげに、私の顎に手をかけた。
『―ちゃんと聞かせてね、声』
『……』
『ね、L』
 あまえるような響きと媚びに、哀願じみた可愛い笑み。
 くちびるの端で笑って、腰に絡んできた女の足を掴み、腕に乗せた。ずしりとくる、なまなましい重み。しかしそれはひどくなめらかだ。久しぶりの感触。興奮。
『……ウエディも』
 呟いた私の下唇を女の指がゆっくりと撫でていく。
 見つめていると自然とタイミングが分かって、私たちは同時に目を閉じてくちびるを重ねた。
 柔らかい舌の匂い。絡みあう唾液の味。官能が滲みだす。しかしこんなときだというのに、私は女を味わいながら月の舌を思い出していた。その味を。月の舌はやわらかくて繊細で潔癖なのに、そのくせどこか歪んでいる。裏のない透明さのなかに隠れている躊躇いと、それを上回る欲求が屈折して入り混じりあい、―そう、なにもかもがちがうのだと、思うほどに興奮を煽られた。陰部がゆっくりと熱を上げてくる。
 浅い息を鼻から逃がしながら、何度もくちびるを重ねあわせていると、恋しがるように、女が私の頭を両手で抱き寄せてきた。引きずられ、その情熱に身を任せた。ふかふかの女の肉体に身体を預けると、全身が弾力のあるベッドに沈むよう。そうして身体を重ねながら私が、ふと考えたことは、浅はかにも、下らないこと。
 ―彼女が、私と月の情景を見たら驚喜するだろうと云うことだった。
 ウエディはそのとき、男ではない私の、女である私の、内側からの声と云うものを聞くことになるのだ。無論、それは性的に潔癖な、月の全力の抵抗を予想すれば、ただの飛躍した妄想でしかない。見せることができたら面白いのにと、思っただけ。それだけ。ただそれはウエディが好奇心を寄せている、私の内側からの声と云うものに他ならないのだろう。聞かせてあげたいと、面白がる気持ちで考えながら女のなかに私は沈んでいった。


  女は温い沼地のよう。
  どろどろとして底知れない。
  そこに何もかもを呑み込んでいく。
  男の虚構。
  浅慮。
  退屈。
  そして―


『Lはすごく丁寧で優しいのね』
 終わった後、気だるげな頽廃の空気の中で、ウエディが言った。
「……」
『そういうところ、すごく良かった』
 そのとき私は心底、返答に困ってしまった。
 月とするようになってから身体の内側がひどく傷みやすいことを知ったから、優しくした、だなんて理由は、絶対にウエディには言えなかった。 


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