【女】
「彼女は、よかった?」
月に聞かれて、思わず笑ってしまった。
両腕で作った鳥篭の中に私を閉じ込め、固い俎板のような腰を下肢で挟み、逃さぬように自重でベッドに押し付けながら、月は、触れあったところから私に対する静かな怒りを伝えてくる。
華奢なふたつの手首に絡んだ鎖。
手首を動かせば、重過ぎるほどの手ごたえがある。鎖の音と重さによって、つながれたところから曖昧さが消去されるイメージ。私たちは別個の存在でありながら密接に結びついた有機体のように互いに影響を与えあう。
「ねえ。本当どうだった、久しぶりの女は」
答えようのない悪意の籠もった質問は、始めから返答を想定していないように聞こえた。
だから私は口を閉ざしていたが、その態度に、月は自分勝手で矛盾した苛立ちを覚えたらしい。
「感想、聞かせられない? そんなに女のなかは気持ち良かったのか」
一層険しい口調で云い募り、睨みながら顔を近づけてくる。
清潔なシャンプーの芳香。
間近で見てもほくろ一つ見あたらない奇麗な貌に浮かぶ、嫉妬と自制の斑模様。冷静さを装ってはいるが、口元はどうしようもなく醜くゆがんでいる。
内心で呆れたため息をつき、おもむろに口を開いた。
「月くんのような人が、そういう明け透けな言い方をするのはよくないですよ。品位が落ちます。聞いた人間の方が傷つきます」
言えば、途端に月の頬がさっと紅潮した。奥歯で羞恥と怒気を噛み殺し、低い声でつぶやく。
「下品なのはどっちだよ。どうして──ウエディと。仕事上のパートナーじゃなかったのか。なのに、いつのまにか彼女に好意を?」
是とも否ともこたえる以前に、月は相手がウエディであることを察していた。まあ、月が鎖でぐるぐる巻きにされていた間、私が逢っていた人物は、彼女だけなのだから推理するまでもない。
「彼女は魅力的なひとです。私だって男です、彼女のようなひとを抱きたいと思う。それに今回は彼女が私を選んだ。抱かれたのは案外私のほうかもしれません。光栄なことですね」
「──僕は、そういう関係は好きじゃない」
「大学時代はとてもモてたようですが、いまのセリフは事実を反故にしますね、ライトくん?」
口の端に揶揄する笑みをうかべて訊いてみれば、月の全身に怒りが満ち満ちた。
黙り込み、急に身を起こす。
「L」
「怒ったんですか?」
唇をゆるく吊り上げたまま、私を跨いで膝立ちになった月を見上げた。
天井の埋め込み型のライトの光を浴びてわずかに影になった月の顔は折れた氷の切っ先のように険しく、くちびるの端を醜く歪ませ抑えきれないほど圧倒的な怒気を放っている。それを受け止める私は、恐いような、しかしどこか愉快さに沸き立つような心地で唾を飲んだ。
さらさらとした髪が乱れている。怒りに震える、月の顔もまた美しい。
「……」
厳しく強ばった表情のまま、月は深呼吸をひとつ。
細い肩がすとんっと落ちる。
直後、月の整った指先が殴るようないきおいで私のシャツの裾をつかみ、たくしあげた。
腕を掴まれて、物のように粗雑な扱いでシャツの袖から腕を抜き取られ、衣服をはぎ取られる。荒っぽい手によって表から裏へと引っ繰り返されて、ゆるいデニムを下着ごと引きずり下ろされる。腰をつかまれて、膝で立つように促され、弛んだ膂力を振り絞ってのろのろと腰をあげると、ふとももに絡んでいたデニムを強引に膝から抜かれてふくらはぎが厚手の生地に赤く擦れた。
「ライトくん……」
その始終、月は無言だった。
月からぶつけられる嫉妬と怒りをいささか面倒で疎ましく感じながら、なすがままされるままに身を任せていた。抵抗は面倒だったし、往なすためにことばでとりつくろうことも億劫だった。
それにいまはただ月の怒りを受け止め、眺めていたかったのだ。
月の怒りの理由はひどく厄介な感情だが、女と抱き合ったぐらいでたやすく燃え上がる幼稚な独占欲は、ほんの少し可愛くもあったから──。
好きにさせてやろうと力を抜いた。
「……っ」
強引な腕で腰を持ち上げられてシーツの波間に顔を伏せ、膝をつき、腰だけを高く掲げたスタイルで、月のまえに身を曝す。いつもは楕円のようなゆるい弧を描く猫背が、今日は反対に反りかえる。
眼前に赤裸々に開いて曝した白い臀部を、月の固い指が掴んでさらに左右に押し開き、間髪置かず、ぬるりとした触感がその中央に落ちてきて、おもわず枕の端をにぎりしめた。ぴちゃぴちゃと舌を鳴らして唾液を注ぎ込んでいく音がする。
「ライト、く…」
羞恥心に体が熱くなり、息が乱れる。
「……そんな、……やめてください」
ゆるく首を振り、枕に爪を立てた。けれど拒否する声は弱い。月の舌が塗りつけてくる、抗いがたい快楽のまえに形ばかりの拒絶などまともな声にもならない。
「や……っ」
尖った舌先をさし込まれて喉の奥で息を詰める。たまらずぶるっと身をふるわせた。
柔らかい舌が奥深く入ろうとして入口を擦すってくる。つまさきが反り返って痙攣するほどの熱く巧みな舌先の愛撫に、やわい粘膜を執拗に舐められ、全身から力が抜けていく。
「……ん、っ、あっ」
濡らし続ける舌の合間に指が入り込んで、ぐっと中央のくぼみを押しあげた瞬間、全身に熱がはじけてつよいわななきが走り、息を詰まらせて反射的に目を閉じた。
びくびくと震える内側の身体の反応のそのままに首を振る。
数度、そこだけを狙って抉られる。
シーツに爪を立て、奥歯を噛んだ。
声が出てしまうのが悔しくて。
けれど執拗な愛撫に甘い感覚がひっきりなしに背を走り、たえきれずほどけた唇からは飲みこみ損ねた唾液と一緒に、自分のものとは思えないほど女じみた、裏返った嬌声があふれた。固くなった先端からもとろりと透明な液体がこぼれて白いシーツの色を変えていく。
「らい、と、くん……」
指先だけで追い立てられ、すがるように名前を呼ぶ。
ん? ひどくあまい声で月が訊き返す。
「ここ?」
「あっ、やっ、あ……」
「きもちいい、だろ。竜崎?」
「まっ、……んん」
「可愛い声、出ちゃって、止められない? だったら、もっとして欲しいって言ってみろよ、ん?」
月の興奮した息遣いが、聴覚に引っかかり肌を粟立たせる。
低くかすれた声が意識の奥にざらついた刺激を残して、快感を煽る。
──女の声に男は興奮するの。
同じように女もね。
ふと、ウエディのセリフが鼓膜の底によみがえり、悔しいけれど、その通りなのだと思った。
そうして月の手によって感じさせられて乱れて、興奮は相乗効果できもちよくなりひたすら果てなく肥大し、高ぶる。
指先一本で内側から征服され、太ももを痙攣させながら耐えていると、ふいに月が指の代わりに、そこに濡れた先端を宛がってきた。
咄嗟に、まだ早い、と思う。
もう少し指で奥を開いてほしいと感じたのだ。
そのくせ月の熱を感じた途端、奥は痛いくらいに疼いて月を欲した。
「──いや、です」
裏腹な心と身体を持て余しながら後ろを振り返り、涙がにじんで焦点の定まらなくなった目でうわめ遣いに睨みつける。背後で膝立ちになり、片手で私の腰を引き寄せて、伏せ目がちに私の腰を注視していた月へ、名を呼んで振り向かせて目線を絡ませて哀願する。
「お願いです……まだ、入れないでください」
すると月はふわりと秀麗に笑った。
「煽ったくせに。よく言うよね」
「そんなこと、してないですよ」
「嘘つき」
「らいとくん」
「本当に嘘つきだよね」
「ちが……」
ウエディだけでなく月までも。
おかしなことだ。
どうしてそう言うのだろう。
私を喰らいつづけているのは、もう何か月もこの男、夜神月だけ、内側からも外側からも果ては心のなかまでも。
──夜神月だけだというのに。
「ライト、くん」
あえかな声で名を呼ぶと、月は目を合わせて、じっとこちらを見つめてきた。鋭く聡明そうな薄茶色の目が二度、三度またたいて、そうして微かに眉をひそめる。
「──竜崎。もしかして」
「……」
「ちがうの?」
意味が分からず、ただ首をかしげた。月は黙って眉根を寄せ、何かしらの推論を組み立てるように思案げに目線を動かした。
「……ああ、そういうことか」
つぶやいた後。
──わずかな間隙。
なんだ、とあきれたような声で付け加え、躊躇いがあり、直後にいきなり月は腰を動かして性器を押しつけてきた。圧迫感が強くなって挿入されそうになり侵入を防ごうとして体を強ばらせると、入口の粘膜を捲りあげただけでそれ以上、入ることのできず、濡れた先端で弧を描くように後孔をなぞりあげる。
「力を抜いてよ」
「や……むり、です」
私を見おろしながら月は余裕のようすでわらった。
「聞こえないよ、そんなの」
微かな安堵を孕んだつぶやきとともに腰の前に手をまわし、硬くなっているのを包み込んでゆっくりと撫であげる。
月の指先はほそくてながくて優しくて、触れられるだけで痺れるような快感が背をのぼり、ここちよさに切ない吐息をこぼして目線を伏せた。
痺れるように内側が疼く。体の力が抜けてゆく。
そのとき、僅かにゆるんだ体の隙をついてずるりと奥まで穿たれた。
「あ、あ―っ……」
狭いところを強引に貫いていく熱の塊。
戦慄にも似た気が遠くなるような愉悦に、たまらず大きな声が出てしまう。全身に鳥肌が立つ。
腰を両手でつかまれてがくがくと揺さぶられながら強く押込まれてなお奥深くに入ろうと月は腰を突き上げてくる。
「ひ、いっ。あ、……ああっ、あっ」
シーツに額を擦りつけながらひきつった嬌声をあげ、身をよじると、月を呑みこんだところが痙攣するように収縮して勃起した先端を押し揉み、つよい圧迫感に月もうめいた。
「竜、崎」
息を弾ませながら、なお二度、三度と強く腰を打ちつけて穿ち、奥深いところまで全部を埋め終わってようやく月は動きを止める。
「はあ、あぁ……はぁ……は、」
跳ね上がった息を整えながら、完全にひとつにつながって、熱ばかりが募る
そのままふたり、動くこともできない。
侵入してきた塊が圧倒的な存在感で下腹部を占めて、まるで自分のものではないような違和感だ。ぴったりと隙間なく密着したそこは敏感を極めすぎて月の血流すら感じ取れる気がした。
はぁはぁと肩で息をしていると、
「……つらい?」
柔らかい声で、いまさらのようにたずねてくる。
こたえることもできず、ただ浅い息を繰り返す、汗ばんだ背中を月の掌が柔らかくなでていく。
最初の一進にこわばっていた身体は徐々にかたちに馴染んでいき、そうして月を感じるにつれ逆に内側は、入れられた熱と大きさに煽られて、じわじわと疼きはじめる。はやく強く擦ってほしいと。羞恥心を噛み殺し、じれったさを訴えて腰を揺らめかせると、月は、楽しげにささやいた。
「それ、もう、がまんできないって?」
嬉しそうな、とろとろの蜂蜜のような声音が耳朶にからむ。
「ね、そんなに男が好きなのに。どうして女なんて抱いたんだろうね?」
生意気な小僧め。
「かわいいね、竜崎」
黙れ。
「そのまま、じぶんで腰を振って動いてみる?」
腰を掴んだ手でゆっくりと臀部をなでながら冗談のように口にするが、この場合、それはすなわち命令に等しかった。月はつまりイきたければ、みずから動けと暗に揶揄しているわけだが、そんな痴態を私はかつて一度も経験したことがない。指先をくちもとに引き寄せて爪を噛み、かりっと音をたてる。
月の上に跨って腰を振ったことはあっても、これは初めてだった。仕方なく、つながったままの体を前にずらし、じりじりと抜けていくのを感じながら股間に手を伸ばして自らを慰め、そして抜けきってしまう寸前で、動きを止める。今度はそれを入れなおさなければならないのだが、そんな器用な真似ができるはずもない。
鈍い快楽がじれったくてもどかしく、鼻をすすりあげて後ろを振り返り、
「ライト、くん……」
どうにかしてほしいと潤んだ目で訴えて、ぐずるように鼻を鳴らすと、月は目に見えてほほを赤くして視線を横に逸らした。
赤いほほのまま、ばか、と、こっそりつぶやいたのは聞こえなかったことにしておいて、
「……いいよ」
月が腰骨の辺りを両手でつかみ、角度が変わって一瞬ひるんだところに、深く内側から抉るように勢いよく突き上げられてたまらず叫んでいた。
抜けてしまう寸前まで引き、閉じかけた肉を割くように一気に奥まで押し入ってくる。入れては出し、突き上げては引いてを繰り返すリズムに、全身が激しく揺さぶられる。焦らされて澱のようにたまっていた欲求をいっきに解放されて、気が変になりそうなほどの快感に意識が眩んだ。
「ああ……っ、ライト、くん、いい、です……あぁあ!」
「……竜、ざ、き」
「やっ、あ、ああっ、もう、も、やあっ……」
奥深いところばかりを責め立てられ、突き上げられる衝動に前へと無意識に逃げようとする身体はつかまれた腰ごと引き戻され、尚いっそう激しく腰を打ちつけられて息も絶え絶えにひときわ高い声が出たとき。
りゅうざき、と極まった掠れ声をあげた月の絶頂に押し流されるように私も射精していた。体内を月のぬるい体液が這う感触に、ぶるりと背を震わせ、眼前のシーツを引き裂くつよさで握りしめる。
崩れ落ちるように月が体を重ねてきて、しとどに濡れたベッドのうえに脱力した。指一本動かす気も起きないほど、それはひどく心地よい解放感だった。
叫びすぎて酸欠状態に陥りぼんやりとした意識が、数分後、呼吸が落ちついて来たころにようやくもとに戻ってくる。
シーツのうえにごろりと横臥した私のよこで、貧相な私の体に腕を回してしっかりと抱きながら、首筋に顔をうずめるように身を寄せていた月が、肩のところに唇をつけたままぽつりとつぶやく。
「なんで、ウエディとしたんだ。ばか」
ぐずったれて甘える子供のような言い方で、はじめとおなじ恨み言をふたたび。細くて硬い指先が汗ばんだ肌を小さく撫でる。
「あれだけの美女に興味を抱くのは男として普通のことでしょう」
「おまえ、それだけの理由で彼女と?」
「合意のうえですよ」
「……おまえね。ウエディがそんな理由で男とセックスすると思う?」
「いたっ」
月の指が乳首をかるく押しつぶして離れていく。いったいなんだと云うのだ。くっついていたふたつの身体も離れる。けれど手首同士が手錠でつながれているので一定の距離以上は遠ざかることができない。
月は起き上がり、脱ぎ散らかした私のシャツを拾い上げた。それを横目に眺めながら、私はくしゅくしゅに乱れたベッドのうえに身を起こし、膝を抱えてまるくなる。
「ほら、これ」
あきれたような顔をした月が突きつけてきたのは、シャツの襟のタグ。
覗き込んだ私は、おもわず目を丸くした。
「おや……いつのまに」
「竜崎、あのね」
反省の色もなくただただ驚く私を見て、月が心底うんざりした声を出す。シャツの襟タグ、そこには、赤い口紅のキスマークがべったりと残されていた。
鏡でよくよく見なければ絶対に気付かないところ。けれど誰かと抱き合ったらすぐに相手に気付かれてしまうところに──犯人は惑う余地もなく、ウエディだ。
「最初は、わかってて、わざと残していたのかと思ったけど」
僕をからかいたくて、とか、そういう理由で。
月はつぶやきながらシャツを私の頭にかぶせてくる。
視界が束の間、ほの暗い白い世界になるが、面倒見のいい手のひらがすぐに私の頭を外に導いてくれる。
「でも本当に気づいていなかったんだな」
「……」
残念ながら本当に気づいていなかった。
──まったく。
不覚。
「ウエディは、おまえのこと、好きなんだよ?」
「……」
思わず、ぽかんと口をひらいた。
耳を疑った。
何を勘違いしているのだろうと月を見返せば、月は大まじめな顔をしていた。
「だからおまえと、セックスしたんじゃないのか? セックスって好きな相手としか、ふつうしないよ」
返す言葉もなく、ただ、ただ、絶句した。
黙ってしまった私を見て、月はこの世で最も愚かな人間と遭遇したかのような深いため息を落とした。
ぼそりと呟く。
「おまえもたいがい迂闊な男だよ」
パタンとベッドに倒れこんだ。
“Lは嘘吐きだから”と繰り返していた女の赤い口紅は、シャツのタグの上でなにもかもを見透かすほどの鮮やかな赤で、
力強くキラキラと輝いていた。
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