【酒】
長身を折り曲げて、猫背の男がゆらりと立ち上がる。
ふふと云う目元だけの艶めいた笑み。つられて口許に微笑を浮かべた。
視線を絡ませわらいながら、
座卓の脇を巡ってこちらに来るんだろうと酒浸しの潤んだような眼で眺めていたら、
竜崎がとつぜん浴衣の裾を端折り、素足を座卓のうえにあげてきたので、虚を突かれてことばを失った。
何を、するんだ。
おどろいて上背のある身体を仰ぎ見る。
が、ガシャンという音にすぐに視線を下ろし、目を瞠った。
重厚な座卓のうえにのせられた、まっしろい足のつま先が、
並べられた和食器を掻き分ける。
手先の不器用さと反比例するように器用な足が、座卓の上に小路をつくり、
裾を引きつつよろよろとこちらに歩み寄ってくるのだ。
白磁のふくらはぎに目を奪われ、
あきれるほどに無作法なのに僕は声に出して咎めることもできない。
「…もう少しですね」
呟く声にふたたび天井を仰いだ。
目が合うと竜崎は、酔眼の、どことなくあどけない表情でわらった。
「おい。あぶなっ」
笑んだ矢先に、ぐらりと細い肩が右に傾いだ。
倒れるのかと焦って身を乗り出すと、広げた腕のなかに酔った身体がどさりと落ちてきた。
「月くん。来ましたよ」
胡坐をかいた僕を跨いで、べたりと座り込む。
細い腕をするりと首にからめ、酒と和菓子の甘い香りを吐きだしながら頬をすり寄せもたれかかってくる。
僕は、身をあずけられるままに座椅子へ背をもどした。
ふうっと安堵の息を吐きながら抱きしめた痩身は、アルコールに火照って想像以上に熱く、
脱力した生身のたしかさで腕に重い。
「…驚いた」
溜め息まじりに呟く。
「何故、」
揶揄するように呟きが返る。
来いと行ったのは月くんの方ではないかと、酒の湿り気を帯びた吐息がふっと耳に掛かる。
そんな微かな刺激にすら応じて脈動が速くなる。
ふたりとも少し呼吸が乱れている。触れ合う肌から伝播する興奮のせいだ。
甘えるように寄りかかってくる痩身のなか、心音が響いているのが伝わってくる。
アルコールを口実に誤魔化しきれないほど、竜崎も、昂ぶっている。
「どうしましたか」
抱きしめたまま何も言えずに深呼吸を繰り返していると、焦れたようにまた告げた。
「来ましたよ?」
急かす声がやけに甘く聞こえる。
僕は、ひとつ呼吸をして、ん、と呟いた。
「そうだね。お利口さんとでも言えば満足する?」
「月くんは口先だけのご褒美で腹を満たすタイプですか。現実的じゃないですね」
「ははっ」
不満げな声に思わず笑ってしまった。
「知らなかったな。竜崎は、酔うと素直になるタイプなんだね」
「素直というより…… ──」
竜崎は少し間を置き考えて、
「…酔いを自然と興じること、それを粋狂と云ってもいいじゃないですか?」
と、低くささやいた。
「ああ…それいいね。おもしろいよ」
だったらもっと粋に狂ってみせろよと、
嗤いながら乱れた裾前に手を差し込めば、諧謔はそのまま自分に跳ね返る戯言だ。
なぜ僕は、こんな男にたやすく誑惑されるのだと自嘲したところで現実はなにも変わらない。つまりはそういうことなのだ。
引き締まった太ももに纏いつく浴衣を寛げ、
張りのある感触をゆっくりと手のひらで味わうだけで、じんと身体の底に熱が生まれる。その熱は数日前の夜の記憶にも残るもので、
密着してくる筋肉質な太ももの、きめ細かくなめらかな肌をゆっくりと撫で上げるとそれだけで熱は容易く硬化した。
くすぐったがるように身をよじり、僕のふともものうえの安定しない居ずまいを正そうとして、竜崎が腰を揺らす。
心地よい重みと臀部の感触は、ひどく性感を刺激して、僕は誘われるままにさらに奥まで指をのばした。が、指先がなぜかいきなり
生々しい熱に触れたので、おどろいて手を引いた。
細い肩を両手でつかんで身を離し、乱れた裾前を凝視する。太腿はかなりのところまで露になっている。
まだそこは浴衣に隠れているけれど、まさか…── 。
ふいに竜崎が耳元に口を寄せてきて、含み笑い混じりにこっそりとささやいた。
「…そう、下着をつけてないんです」
「…っ」
言われて思わず絶句した。至近距離から見下げてくる黒目をまじまじと見つめ返す。
「…おまえ、今日は、ほんとうに」
「月くん、野暮は言いっこなしですよ?」
「………」
「…ほら?」
うすく笑みを浮かべながら浴衣の男は腰をひねり、背後の座卓に白い手を伸ばす。
徳利型の酒器の口元を例の手つきでひょいとつまみ、左右に振って酒量を確かめる。そそぎ口に直接くちびるをつける。
ゆっくりと酒を頬にためこみ、僕の頭のうしろに手を添えた。
酒に濡れたくちびるは淫猥な色をして、とろんとした眼差しが近付いてくる。
(…キスだ)
いつもの表情のままわずかに首を傾け、いつもするようにかさねやすい角度で赤い唇を寄せてくる。
けれど、違う、それはいつものキスではなく、日本酒の口移し。
くちびるが触れ合った瞬間、鼓動が跳ねた。目を閉じた。くちびるからぴちゃりと酒が滴る。
よく冷えた水菓子のようにひんやりと柔らかい唇に覆われ、
注ぎこまれる酒の香気が、呼気とともにふわりと鼻腔を通り抜けたとき。
あたまのどこかがじんとにぶく痺れた気がした。
(もっと…酔え)
命ずるように流しこまれる酩酊境への誘い水。
口に含んだ酒が切れると、つづけざまに歯列を割ってぬるりと舌先が入り込んでくる。
音を立てながら吸いついてくるのを、同じように返しながら、薄い粘膜の口内でぴちゃぴちゃと生温い舌先をからめ味わう。
濡れた音を立てるのが、酒なのか唾液なのかそれすらよくわからなくなる。
なのに啜りあっていると、内側から脳髄を揺さぶられるような強烈な── 駄目だ。駄目だこんなんじゃ、僕ばかり先に、酔いが回る。
手を伸ばし、宙ぶらりんと奇妙な手つきがつまんでいた、茶色の酒器を横取りする。
「ん…?」
手にしていた酒器を不意に奪われ、横目で抗議するのを黙らせるためにもっと深くキスをする。僕は竜崎の背中のほうで指先を酒に浸す。水音に気付き、意図を察した竜崎がわずかに腰を浮かせた。その隙に裾前に手を忍ばせて濡れた中指をグっとなかへと押し込む。
「…んっ」
逃げないように頭部を抱きよせる。キスはしたままで。
奥まで沈めた指を小刻みに揺すりあげれば、反射的にきつく締めつける。
内側の粘膜はどろどろの溶鉱炉ほどにひどく熱い。
「…っ、ん…、んっ」
あたりをつけて何度もくりかえし内側を撫で上げると、同じリズムで、はずんだ息が鼻腔からこぼれた。
人差し指にも酒をからませ、こんどは二本まとめて押し込んでやる。
掌ごと押しあげるように奥ばかりを攻め立てると、んーんーと喉の奥で甘ったるい悲鳴をあげ、華奢な肩が苦しげにふるえた。
くちびるを離す。とたんにはぁはぁと浅い呼吸でしがみついてくる猫背を、僕はしっかりと抱きしめる。滲み出した甘い快楽にふるえる身体の慄きを全身で受け止める。
「…じぶんから誘ったくせに、案外」
頬をこする黒髪からは、染み付いてしまったみたいなバニラビーンズの香りがほのかに甘く、併せて汗の匂いがした。
余裕のない竜崎のようすにくちもとが笑みの形にほころぶ。
「だらしないね?」
「まだ、そんな口を… ──、酒が」
「もう十分だ。底無しなのはおまえの方だろ、ほら?」
二つの指でなかを押し開くように蠢かせる。湿った音とともに竜崎が小さく呻いた。僕の服を骨張った指でぎゅっと掴む。鼻腔の奥から声を漏らして僕の神経を甘く惑わせる。
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