喧嘩けんか


 丁寧な手つきでこすられれば、抗いようもなく甘い疼きが背筋をはしり息は乱れた。それは直截的で短絡的な快感だった。 柔らかい先端をおやゆびでこすられる。 緩急のテクニックに陰茎は反応する。鋭敏な部分への刺激に腰をよじれば、すかさず硬いものが内側にグっと深く入りこみ、無理に擦られすぎて傷んだ奥のほうが 深々と切った傷口のように鈍く脈打った。
「うっ…、」
「…どうした、流河」
「………っ」
「声、出せばいいのに」
 同じように息を弾ませている。
 夜神の声は冷徹だった。
 表情を歪ませて睨んだところで、整った眉目は些かも動じない。 じりじりと内側の粘膜を引きずりながら引き抜かれ、膨らんだ部分が抜け落ちそうになる直前で一旦止まり、 今度はゆっくりと穏やかに奥まで入る。その最中も絶え間なく指先は私の陰茎をこすり続けている。
 痛みと快感を摩り替えようとするやり口は、シンプルで巧妙なものがよい。
 たとえばこのような方法だ。
 ただ彼の指先はかすかに苛立ちに荒れている。
「ふ…ぅっ」
 性器への愛撫はうんざりするほど長くて執拗だった。時間をかけて施された。先端はだんだんと体液を滲ませた。それをすくいながら全体に塗りつけていく手のひらの感触は、 濡れすぎてねばつくほどだった。ぬるぬるとすべる指先にふるえが走る。
「……ぁ、んっ…」
 堪らず声をこぼしたとき、ふたたび腰がおおきく動き出した。夜神の大きさに馴染みかけていた内側の緊張が再来する。じわりじわりと摩擦感を堪能するようにゆっくり引き抜かれる。ゴムと粘膜の摩擦が体内にひびいて、音に聞こえてきそうだった。 そうしてぎりぎりまで退いて先端だけを含ませたまま、夜神は張り出した部分で入り口から少し入ったところ、浅い付近をこまかく擦りあげた。その瞬間、ビクリと大きく腰が跳ねて思わず声が出た。
「ああっ」
 腰の奥にするどい疼きが走り、くぷりと内部から透明な液体がせりあがる。 それはわずかに白濁色が混ざっていて、くぼみから溢れて下腹部へと滴り、涎のように糸を引いた。
「ははっ」
 夜神が好奇のまなざしで嗤った。
「そう。ここ、感じるんだ?」
 愉しげにくちびるを歪ませ、陰茎から手を外す。
 意図を悟った身体が反射的にこわばる。唇を噛んで夜神を見上げる。夜神は小さく嗤っている。私は拘束された後ろ手に背中側のシーツをぎゅっと握った。
 腰を抱え直して位置を定めた夜神は、悦楽の反応をかえした部分に狙って上下に揺するようなうごきで動きはじめた。 入り口付近の浅いところに存在する、それは鋭敏すぎる快感で私の神経をつらぬいた。
「……ん、っぅ、」
 全身が小刻みに揺すられる。奥歯を噛んで耐えようした。
 が、すぐに無駄と判じた。
 声を殺そうとするほどにこっけいな声が出た。緩くかぶりを振り、涙の滲みはじめた眼をつよく瞑ってから、ゆっくりと開いた。
 夜神を見た。
 こげ茶色の髪に縁取られた秀麗な顔は伏せられて、薄茶色の眼は、私を見ずにつながった部分に向けられていた。 出入りする熱を見つめていた。そこがいまどれほど浅ましい状態になっているのか想像するのも疎ましい。私は、ゆっくりと瞬きをして目を閉じた。
 身の内から湧き上がる感覚に負けてしまえば楽になる。分かっているのに願いに反し、最後までこの胸から捨てきれずに抵抗しつづけるのは、 暴力に対する恐怖心か、捻じ込まれた痛みの記憶か、男でありながら男に抱かれることの屈辱か。
 それともほんの僅かでもいい、夜神をキラではないと信じたかった、そう願ってしまった哀れ過ぎる感傷か。
(……夜神、月。もしおまえが無実であるなら)
 私たちはただ…友人になれたかもしれないけれど。
 心の中で、どれも無用だと強く思った。
 そして結んでいたくちびるをほどいた。
 自然と溢れだす声を咽喉から赤裸々にこぼした。
「…あ、あ、ああっ」
 はぁはぁと浅い息をしながら短い喘ぎ声を漏らす。
 煽られるように激しく動き出した夜神の陰茎によって、深く腹側に向かって突かれると射精感がこみあげる。そうそう長くは持たず出してしまう予感があった。睫毛が濡れる。緩慢にまばたきをしてぎゅっと目尻の皺を深くすれば、あふれた涙が皮膚を伝った。
 浅いゆさぶりが突如変化して、ぐっと奥まで突き上げられる。
 私は顎を突き上げて頭部をシーツにしずめた。ぎゅっと締め付けられて息をつまらせた夜神は、高揚を押さえつけるように深い呼吸をした後。低く嗤った。
「急に、声を出すようになったのは、なぜかな」
 揶揄する調子でささやきながら、ゆっくりと腰を動かす。擦られすぎて痺れたように痛む粘膜は、しかし制御できない肉体の反応に、夜神の陰茎を放すまいとするようにぴたりと絡みついた。それに気付いていないわけでもないだろう。
「我慢できないくらい、ここがいい?」
「あっ…」
「それとも別の理由?」
 こたえずにいると、夜神は柔和な微笑を口元に浮かべた。
 そして、どうしてほしいと優しく訊いた。
「どんなふうに扱って欲しい? 乱暴にされたいんだろ、L」
 深く突き上げられ、腰から這い上がる感覚に背を逸らす。大きく首を振る。夜神の腰づかいが優しくなる。
「違うの? だったら、どうする?」
 つながっている部分に指を伸ばし、限界までひろがったそこのまわりを指先でなぞる。短い悲鳴を上げ、思わずぎゅっと目を瞑った。ますます愉しげなようすで夜神が繰り返す。
「ほら、どうして欲しい、言ってくれたら、言うとおりに動いてあげるよ」
 私はわずかに微笑んだ。繰り返される猥雑な科白があまりにも夜神らしからぬものに聞こえ、少し可笑しかった。
「…奥、」
「え?」
 擦れた声で訴えて、つながった部分に力を込める。甘い締め付けに眉をひそめた夜神を見つめ、そのまま腰を前後に振った。意図的に内壁を蠢かし入れられた欲望を煽る。
「もっと…奥です、だから、はやく」
 平坦な声音は真実にも嘘にも聞こえない。
 夜神は盛大に吹き出した。
「ははっ、あはははっ、ははは!」
 身体の動きを止め、心底可笑しそうに声を立てて嗤った。今にも涙を流しそうなほど愉しげに。ひとしきり笑い声を上げ、くちびるをゆがめた。蔑んだ目で私を見下ろす。
「軽蔑するよ、Lがこんな男だったなんて」
 演技じみたその声が、私にはやけに虚ろに聞こえてならない。




 腕の痛みを訴えたら二回目のセックスは後背位になった。奥深いところを責め立てられて射精は二回。終えた後にずるりと性器を抜いた夜神は、 掴んでいた私の腰から手を離す。シーツは二回分の精液と涎でぐちゃぐちゃに濡れていた。 肩口と右頬をシーツにつけて自身の体を支えていた私は、濡れた部分から身を遠ざけてくたりと横になった。こすられすぎて充血した粘膜は入れられていたものの幻をいつまでも追うようにひくひくと痙攣していた。
「流河は、」
 コンドームを剥ぎ、幾重にもティッシュペーパーを巻きつけてごみ箱に投げ入れる。シャツの袖に腕を通しながら、夜神が言う。
「男とのセックスに慣れてるんだな」
「…そうですね」
 淡々と肯定すると、夜神は射るように剣呑な眼差しでこちらを睨んできた。真偽の如何にかかわらず、否定して欲しかったのかもしれない。数時間前に強姦された、身体は再び夜神に苛まれたのだ。現実的でない。
「いったいどんな相手としてきたんだ? はは、もしかしてLは身体を使ってターゲットを篭絡するのかな。けっこう薄汚いんだね」
「…ここでは流河と呼んでください」
「いいじゃないか。誰もいないよ」
「盗聴器が仕掛けられているかもしれない」
「冗談が上手いな」
 付き合いきれないという様子で肩を竦め、クローゼットに向き直る。
「月君」
 と、名を呼んだ。
 ん? と夜神が振り返る。
「私のことが好きなんですか?」
 目が一瞬大きく見開かれた。不意打ちの問いかけに、夜神はまるで純粋な子供のような顔をして驚いた。しかし直後に心底うとましげに顔を歪ませ、疲弊しきった声で吐き捨てる。
「馬鹿言うな。さんざん犯されて頭がおかしくなったか、L」
「そうですね」
 私は吐息をひとつ落として、夜神に背を向けた。
「疲れました、少し眠ります」
 とたんに夜神が嘲笑を浴びせてくる。
「神経が太いな。僕に強姦されたんだろ。よく平然とこのベッドで眠れるな?」
「…らしくないですね。口調が荒んでいます。どうしましたか落ち着いてください」
「僕は、冷静だ」
「図星ですか。むきになるほど露呈しますよ。仮面が剥がれかけていませんか」
 がたりと音をたてて立ち上がった。この青年は思いがけず、感情的に手が出るタイプだと知ったばかりの私は、 露骨な挑発に逆上し、ふたたび殴打の仕打ちをうけるかと身構えた。
 しかし夜神は素早く衣服を身に付けると、足早に部屋を出て行ってしまった。
 それだけだった。
「………」
 吐息を落とす。
 疲弊しているのはこちらもおなじ。
 今日二度目の強姦。都合何回、この身体は苛まれただろう。目を閉じた。
 頭は鉛のように重く、全身がひどくだるい。




「……──っ」
 目を閉じた数秒に本当に眠ってしまったらしい。
「口あけて」
 夜神の声にハっと身を震わせて目を開くと、ペットボトルを手にした夜神が、ベッドの端に腰を下ろしてこちらを眺めていた。錠剤を手のひらで転がしている。
 抱き起こされて察する。そういうことかと口を開けば、錠剤とともに冷たいミネラルウォーターを流し込まれた。
 全身のすみずみに沁み込むように、清浄な水で満たされてほっと一息をつく。飲み込みそこねて唇からシーツへと落ちた水滴は、夜神の細い指先が丁寧に拭った。
 私は夜神をじっと見つめ続けていたが、夜神は一度も視線を合わせようとしなかった。
「優しい僕が、おまえの知る『夜神月』か?」
 囁くように問いかけてくる。
「酷い僕は『キラ』なのか?」
「……」
「おまえにとって、僕は」
 言い淀み口を閉ざす。
 あまりにも今更な科白だと自嘲して、全身の力を抜いた。
「夜神くんが『キラ』であって、残念です」
 答えは返らなかった。
 夜神は侮蔑の眼差しむけ、すっと立ち上がり部屋を出ていった。
 そしてそのままもう戻っては来なかった。



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