【濡れ】
バスルームに乱れた吐息が響く。
ゆるく揺れるバスバブルの波のなかで舌をからめている。
キスひとつでこんなにも煽られる。そんな相手は他にいない。
「………んっ」
竜崎が、赤い果肉を頬張るように、口の中に差し込まれた月の舌を甘く噛む。
甘いものが好きなくせにずいぶんと歯の健康が良いようで、尖った前歯にこすられて、月の舌の表面はちりりっと痛んだ。
傷つきやすい口内の粘膜への危うい刺激を味わう。
例えば思うさま竜崎に噛み付かれでもしたら死すらも有り得るのだと、
しかしその相手が竜崎であればいっそ心地よいかもしれないなどと思ってしまった自分に、
弾んだ吐息を鼻から逃がしながら月はかすかに笑った。
口蓋を尖らせた舌でくすぐり歯茎をたどる。口内をなめらかさと硬さを自由に味わう。喉の奥のほうまで舌先を伸ばして撫でる。
竜崎は月の舌の動きに合わせて舌を動かす。
自在に動いていく月を追いかけ、どこまでも追いついていこうとする。
唇を離さないまま口角から垂れた唾液を啜った。
濁点まじりの音がバスルームに淫猥に響き、月は強いアルコールを煽ったときのような強い酩酊を感じた。
あのLと互いの唾液を交じり合わせて啜っている。
欲しがってくれている。あの竜崎が。
そう思うと胸が熱くなった。
単純に嬉しかった。
堪えきれずに抱きしめた、捜査本部の一室の、想いの欠片が伝わったのかもしれないと思った。
それは月の思い込みであるかもしれないし、竜崎がそのように振舞ってくれている可能性は高いけれど、疑いを
抱けば際限なく裏を読み続けるしかない関係で、今夜ぐらいは、月は猜疑心を捨てることにした。
何を考えているか見当もつかない、茫洋とした顔つきをして飄々と近づいて、
そのくせこちらが手を伸ばせばするりと逃げ出し遠ざかる。
その白い肩が自分の腕の中におさまっている。
縮こまってじっとしている。
竜崎と共に得られる幸せなんてそんなもの。
それだけで幸福に満たされるには十分だろうと思うのだ。
「……っ、ふっ」
華奢な肩を掴んでいた指先を外し、ゆっくりと下にずらした。
バスバブルの中に隠れていた、胸の先端を指先でかるく撫でると、ぴくりと竜崎の肩が揺れた。身体が逃げるように動いた。
逃すまいとして、左の手で白い首すじの裏を掴む。長い毛足の中に指を差し込んで、黒髪の頭を抱き寄せる。
竜崎はわずかに躊躇ったあと、顎をつきだすように引き寄せられるまま唇を捧げた。
それから首をすこしだけ傾けた。
キスの深くなる角度に。
愛しさが胸をつきあげて、喉が苦しく、月は目を閉じた。
夢中で舌を絡めた。竜崎は幼い子供のような素直さでこたえた。
湯船が揺れる音とはまたちがう、湿った水音が絶えまなくバスルームに溢れた。わずかにはなれた唇の隙間から息をつぐような、
濃いキスの間にも、指の腹で、竜崎の尖った胸の部分を執拗に愛撫した。
二指をつかい挟みこんで擦りあげると、竜崎はさざ波を立たせて身を震わせた。でも、まだ足りない。
望まれれば望まれるだけ与えてやりたくなる。小さな口を押し開いて、度を越したところまで舌先や唇で触れたくなる。
そして月が望むだけもっと深みを知りたくなる。
もっと。まだ足りないと思うのは月の方。もっと。もっと。
月は、きっと竜崎が思っている以上に竜崎が欲しい。
強く舌を吸い上げる。
甘い砂糖のシロップのような唾液を吸う。
自動給湯システムの音はいつしか止んでいた。そんなことに気付く余裕すらなくなっていた。
目を閉じたまま触れ合わせる部分の感覚がすべてで、月はすっかりと興奮していた。
「……っ」
ふいに何の予兆もなく竜崎が逃げるように舌を引いた。合わさっていた唇が滑るように離れた。
はっとして目を開く。
腕の力を弛めて距離をはかれば、はあ、はあと息を弾ませた竜崎が、顔を横にむけて肩を揺らしていた。
バスバブルにまみれた甲で、顎にまで滴った唾液をぬぐう。
「…月君、息が苦しい」
喘ぐように告げられて我に返ってみれば、お互い様だった。
月の呼吸もおかしいくらい乱れきっていた。
自然とこもってしまった肩の力を抜き、深呼吸をする。
甘ったるいバスバブルの香りが肺いっぱいに侵入してきて、湯気と内側の熱気の両方にあてられ、くらりと眩暈がした。
「こんなところで倒れるなんて醜態は、真っ平です」
憎まれ口を叩きながら月の腕をすり抜けて、さっさと浴槽から脱出する。
泡の塊を付着させたままの乾いたバスマットのうえに降り立ち、
壁付きのシャワーヘッドに手を伸ばす。
樹脂加工の水栓を捻って水温を調整し、
溢れ出した冷水を身体にあてる。捜査以外についてはなにごとも無頓着な性格のままに、
洗い場の機能を備えていない浴室で遠慮なくシャワーを浴びて、身体を冷やす竜崎を見て、月は顔を顰めた。
無作法が過ぎる。
悠々とシャワーを浴びる男を睨んだが、つんとした顔つきの流し目でひらりとかわされた。
ここは私が造ったビルなんですから、多少のことは大目に見てくださいと言わんばかりの澄ました表情だった。
傍若無人な素振りにすこしだけ厭きれて肩を落とす。
いいんだ。
そんなことは。
「僕も、のぼせて倒れるなんて嫌だよ」
わざとらしく肩をすくめてみせる。
「月くんは自分だけがそうでなければいいと思ってるんでしょう」
すかさず軽口が投げ返される。まったく竜崎はよく知っていると月は内心で苦笑した。
「そうかも。ごめんね」
言いながら立ち上がった。水栓を捻ってシャワーをとめる。
「…何するんですか」
「だから、ごめんって」
謝罪を告げるのは形ばかり。そうしてわがままを行使する。
月は竜崎に歩み寄り、腕を伸ばして手首を掴んだ。許してほしいんだと囁きながら、シャワーヘッドを取り上げて壁に戻して、肩を押す。
つまり本音のところは切羽詰まってる。
焦れている。
「止まらないんだ」
そう告げた。
壁際に押された竜崎は、目を丸くしてきょとんと月を見た。黒目が目立つ、大きな瞳でしげしげと月の顔を眺めたあと、
頬を弛め、吹き出した。
ネコのように瞳を細めて笑っている。珍しくも心底おもしろがっている笑顔に、月も嬉しくなって微笑んだ。
「月君はやっぱりまだ子供なんですよね」
「なに?」
瞬時に顔をこわばらせると、ますます可笑しそうに明るい笑い声を立てた。
泡のかたまりはシャワーの排水口でふわふわとわだかまった。
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