【濡れ】
泡ですべる手に操り人形のように動かされるまま、竜崎は、白灰色のマーブル模様の、人工大理石の壁面に肘を折って手首までを添えた。
「足、開いて、立って」
促されて肩幅程に両脚を開き、心許無い腰つきでじっと身を固くしている。
ゆるくたわんだ白い背中には、
三角形の肩甲骨と、恐竜の化石のような背骨が数えられるほどくっきりと浮かび上がる。
白い首筋を半分以上隠している柔らかい黒髪は、湿気を吸い込んでしっとりと輝く。
首筋に張りついた毛先を骨張った指がうとましげに掻きあげる。希少価値の高い、白亜の生物。白と黒のコントラストはこんなときでも
くっきりと鮮やかだった。
竜崎を壁に向かって立たせたまま、月はボディソープのヘッドをプッシュして左手のひらに溜めた。
ラブジェルの類はここには置いていない。代替としてのそれを、人差し指と中指の全体にからむように親指の腹でひろげていると、
竜崎が顔半分だけを振り返って月をながめた。
「何?」
「いえ…」
言葉を濁して目を伏せ、深く息を吐いた。気懸かりなことがあるように親指の爪を歯に当てる。
「…ああ、そういうこと?」
足元を見ると、濡れたプラスチックを踏んでいる足の親指が丸まり、床に爪を立てていた。
ボディソープで濡れた片手を人工大理石の壁につき、流しきれなかった泡の残滓でべたつく背中にぴったりと全身を押し付ける。
耳殻をうしろからしゃぶり、右手を前にまわしてそこをさぐると、指に発熱する屹立があたった。
陰茎は、熱を孕んでゆるく勃起していた。
もうとっくにそんな有様だったのだ。
根元から先端へと薄い皮膚をゆっくりこすりあげる。白い肩がぶるっと震えて小さくなる。
突如として闇雲にこみあげてきた欲情に、胸が震えた。欲しくて欲しくてたまらなくて体から溢れそうになったのを
ぐっと奥歯ですりつぶすように殺し、柔らかく握るような手付きのまま、ゆっくりと手首を上下させる。
徐々にそのスピードを上げていく。
みるみるうちに固くなるのを指先で感じながら、うしろから横顔をのぞきこむと、竜崎は眉間に苦しげな縦皺を寄せ、
堪えるように息をひそめていた。
見つめられていることに気付き、睫毛を伏せる。
次に、ふ、と下から媚びるような目の色で月を見上げた。
その表情の不思議な色っぽさに、おもわず背筋がゾクリとした。
与える刺激によって色鮮やかに変化する。
白い身体も、表情も、普段の竜崎からは想像もつかないほど。生々しく鮮明な落差。
擦りあげる動きを止め、笠のように張り出した部分に指を添えて、親指で先端の割れ目をなぞるように刺激する。とたんに丸まった背中がえびのように仰け反る。
「ふあ…っ」
甘く弾んだ声がこらえきれずに喉から溢れた。響いてしまった声の艶やかさに羞恥した竜崎が、人工大理石の冷えた壁面にひたいを押しつける。
声を抑えようと、親指の節の部分を口にふくんで息を詰める。けれど頬は赤く上気し、息は乱れ、興奮は抑えきれない。
月はわざと挑発的に「早くイケよ」と囁きながら、竜崎の陰茎の根元から亀頭までを素早くこすり、
タイミングをずらして先端の割れ目をなぞった。
息苦しそうなほど呼吸が荒くなる。もうやめてくださいとでも訴えるように頭を振り、髪を振り乱す。
強い毒素に痺れたように、竜崎の身体がこわばった。
同時に、包み込んでいた手のなかで、竜崎の陰茎が膨張してビクリとふるえた。白濁した液体が飛び出して大理石の壁面を汚し、滴った。
「ふ、はあっ、はあっ、はあっ…」
威嚇するネコのように背を丸め、大理石に額を押し付けたまま、全力疾走の後のように激しく肩を震わせる。
月は、大理石の冷たさにすぐさま熱を奪われて、ぬるくなった精液をゆびさきですくった。
「声、女みたい」
上気した頬に、頬をすり合わせて低く揶揄すると、潤んだ瞳が強気に睨んだ。
けれどその表情も月の指先ひとつでぐにゃりと歪む。
月は、じぶんの肩を竜崎の背に押し付けるようにして自重を預けると、壁について体勢を支えていた手を放して、竜崎の尻たぶをつかんだ。
ぐいっと右にひらき、奥のすぼまったところへ、足のあいだの自分のものを押し付ける。完全な勃起状態にある、それがぬるりと押し付けられたのを感じたとたん、
竜崎はひゅうっと音をたてて息を呑んだ。
「…っと、くん」
なんて声を出すんだろうと月は思った。誘っているようにしか聞こえない。発情したメスの声。その声に、オスはどうしたって太刀打ちできない。
はぁ…はぁ…と息をしている耳元で囁く。
「指、入れていい?」
「…そ」
言いながら尻たぶをつかんでいる指先を中心部分に伸ばし、入り口を引っ掻き、広げた。
そこへ、さきほど掬った、本人の精液でぬれた指先をするりと差し込む。
ぬるぬるする指先はほとんど抵抗なく根元まで入った。そうして前立腺のあたりを探って指を動かす。
なにかを言いかけていた唇からは、熱い吐息がこぼれた。
高圧電流を浴びたように全身を震わせ、竜崎は後孔に呑みこんだ指をぎゅっと締め付ける。
「あっ、ん…んぅ」
細い指で内部を抉られるのに併せ、反射的に腰を痙攣させ、内壁を締め上げる。息がまた弾みだす。
はあはあと浅く息をつく。
うっすらと汗ばんだ背中に月の皮膚はぴたりと吸い付いて、興奮する身体の慄きをダイレクトに味わう。
竜崎はいくぶん前掛かりになった体勢で、つま先を深く丸めた。
それを見て、もういいのだと思った。
固いはずの入り口は熱く柔らかな感触に変わり、月の指を誘うように、もっと奥を擦られることをのぞむように、断続的に収縮する。
(…そ?)
そんなことは、もう、いいから?
言いかけていたことばの先がふいに思い当たる。おもわず苦笑した。失われたつづきは、もう推測でしか補完できないけれど、これもたぶん正解だ。
「力、抜いてて」
背中から胸を離し、心地よい触感のそこから指を抜き去って、自分自身を握る。
具合良くほぐれた入り口に、先端を押し付けると、そこはやわやわと肉をまとわりつかせて月の性器を呑み込もうと蠢いた。
その動きにあわせてはじめはゆっくりと押し込んでゆき、途中まで埋まったところで根元から手を離して両腕で腰をつかみ、体重を一点に乗せ、ぐっと容赦なく突き上げた。
いちばん奥まで入るようにと二度、三度、腰を揺すりあげる。
「あ、あ、ライト、くっ」
白い喉が仰け反り、鋭い悲鳴があがる。締め付ける強さはいっそ痛いくらいだった。
奥まで全部沈め終わった後に、乱れる息を殺しながら、そっと耳元で囁く。
「痛い?」
苦しさを耐えるような空白の一拍があって、竜崎はおもむろに緩く首を振った。そう、と呟き、腰をゆっくりとうしろに引く。
抜けるのをさせまいとするような肉の抵抗を味わった後に、また勢いをつけて突き上げる。
「う、あんっ」
直後にガクンと膝から下の力を失い、竜崎はその場に崩れ落ちそうになった。
「…っと」
つながったままの腰を両腕でつかみ、その場で倒れこむのを防いでずるずると床におろす。
濡れたバスマットを引き寄せ、竜崎の膝のしたに敷く。そのまま後背位をとらせると、竜崎は腕を交差させたうえに額を乗せ、
月が動きやすいようにと腰をあげ、足を開いた。ぞくりときた。やっぱり欲しがっている。こんなにもわかり易い動きで、竜崎は煽っている。月は、捧げられた細い腰を掴んで深く突き上げた。
「ああっ、あ、ふぁ、あっ」
奥深くまで押し込み、抜けてしまう寸前まで腰を引く。そしてまた蠕動する内部の抵抗を味わい、奥まで腰を進める。
柔らかく締め付けてくる熱い肉のなかで、薄く敏感な粘膜同士をゆっくりと擦り合わせる。
腰を前後する動きに合わせて、断続的に嬌声があがり、月はしびれるような快楽が背筋をかけあがるのを感じた。
もっと強く。もっと激しく。そうして竜崎の喘ぐ声を聞きたい。
単純な衝動が下腹部に集中し、充血する。片膝を立て、床を這っている白い太腿を跨いだ。
腰の位置よりも立てた足がすこしまえにでるように、もう片足は膝をついたまま竜崎の両足のあいだに置いて、体勢を整える。
そうして骨張った腰の腰骨のあたりを両手で掴み、抱き寄せると同時に、膝が前後に柔軟にゆれるうごきを利用して、勢いをつけて腰を突き上げた。
「ああっ、それ、深っ」
両膝で立ってしているときよりもスピードはない。そのかわりに一回ごとの突き上げが深く重い。ごりごりと硬直した陰茎に
内部を擦り上げられて、竜崎は一回ごとに悲鳴に似た声をあげた。その声にひどく興奮した。
穿つたびに全身を痙攣させて入り口を締め付ける。
締め付けられるタイミングで月は引き抜くうごきをする。眩暈がするほどの快感を知る。
発火しそうだと思った。つながっている部分から。
沸騰する熱気にあたまの片隅でぼんやりと水風船が膨れあがっていくイメージ。
ゴムは限界まで薄くなっている。もうすぐ破裂する──と、そのとき、溜め込まれた劣情が急激にせりあがってくるのを感じ、
月は悪寒を感じたときのように身震いをした。とっさにいちばん奥に亀頭を押し込む。
限界までひらき押し込んだ熱い内側で、どくどくと精液を吐き出す。最初に注がれたときだけ、大きく背中を震わせたけれど、それきり竜崎はぐったりと顔を伏せたままだった。
「…っ、は…っ」
射精直後の跳ねあがった鼓動に息を乱しながら、汗ばんだ背中のうえに身体を倒す。あたまの先から足の指先にまで、甘い陶酔が行き渡る。
開放後の気だるさを身のうちにこもらせたまま、竜崎のあたまのよこに肘から先をついてしばらくじっとしていると、
体温が上がりっ放しの状態でずっと下をむいて伏せっていたせいか鼻水が出たらしく、竜崎が鼻をすすり小さくしゃくりあげた。
その声があまりにも可愛らしかったので、おもわず月は、腕を竜崎の体の下にさしこんでうしろから強く抱きしめた。
愛しかったのだ。ただそれだけ。振り返った竜崎が目を細めて微笑む。
こまった子ですねと言ったまなざしだったが、不思議と腹は立たなかった。腰だけを前後にかるく揺さぶった。
「月、君っ」
竜崎は少しだけ狼狽した声をあげた。月が一回射精した、だからもう終わりになるのだろうと考えていた。
そんな中途半端で終わらせるつもりはない。月はもう一度竜崎をいかせるつもりでふたたび腰を動かし始めた。こまかなリズムで最も深いところだけを丹念に擦りあげる。
「あ、あ、あ、あ」
注がれた精液のせいで内側は滑りやすく、摩擦感は淡かった。けれど身体の奥を突かれるたびに確実に積み上げられていく、粉雪のような快楽がじんわりと竜崎の芯を溶かした。
腰全体をつかって一定の律動で突き上げられ、体内の深くで快楽を溜めこむと逐情はすぐにきた。
一度出しているせいか、バスマットに滴った白い沁みの量は
それほどの量でもなく、吐き出したあとも震えている陰茎からは、粘ついた液体が幾筋かの短い糸を引いただけだった。
「う…ぁ」
突いている間に固さを取り戻した性器を引き抜き、月は身を起こした。
竜崎はちいさなうめき声を漏らし、脱力し果てて、その場に完全に伏せてしまった。
肩で息を繰り返している。細かく痙攣する背中は汗に濡れてうすっらと光る。
膝立ちから正座へとすわりなおして見下ろしていると、竜崎は、ごろりと身を横にして冷たいタイルの上に寝転んだ。
しまりなく投げ出された両足の付け根のあたりは赤く染まり、月の体液に濡れて淫らに光っている。
月は知らずに滲んだ口内の唾をひっそりと飲み込んだ。
「…月君」
「ん?」
凝視しすぎたことに赤面し、あわてて目を逸らして返答する。
その慌てぶりを見て竜崎は可笑しそうにしゃがれた笑い声を立てた。楽しげだった。
「機嫌、直りましたか?」
「…何?」
月はきょとんとして、セックスのあとの眠たげな表情を見つめた。
何のことだか分からなかった。
「直すも何も…」
もともと壊したつもりもなかった。
竜崎は、ゆっくりと数回、まばたきをし、気だるげにのろのろと身を起こして、ぐちゃぐちゃによれたバスマットのうえで膝を抱えた。
下を向いたまま乱れた前髪をかきあげ、目も合わせずにもごもごと唇を動かす。
ですから…、
と。
言いにくそうに口ごもる。
「ありがとうございます、月君」
しばらく躊躇った後、ぽつりと呟いた。
竜崎の真意を察することはむずかしい。始めは何のことだか分からなかった。
でも、すぐに気がついた。
気付いたとき、月は信じられない気持ちで沈黙した。
「………」
下を向いたまま、もうなにも言わない竜崎の肩に手を伸ばし、抱き寄せる。細くて骨張った肩のラインをやさしく撫でる。
もう後ろから抱きしめなくていいのだ。多分そういうことなのだ。
正面から、濡れた肌を触れあわせる。黒い髪に顔をうずめ、月は目を閉じた。
月の胸のうちに肩をあずけるように抱きこまれ、竜崎はじっとしていた。なにも喋らなかった。
月も喋らなかった。必要がなかった。幸せだったから。それはとても些細でありふれた幸福だった。
竜崎は感情に流されない。
恐らくこれはきっと良心と優しさなのだろう。それでも嬉しかった。だから濡れた肌が乾くまでずっと抱き合ったまま、じっとしていた。
汗が乾いて体温が下がり、竜崎がくしゅんと小さなくしゃみをした。
「寒い?」
と、訊ねると、
「そんな当たり前のことをいちいち聞かないで下さい」
と、返答があった。
月は苦笑いをしながら水栓を捻って、竜崎と一緒にシャワーを浴びた。バスバブルも精液を一度はすべてを洗い流し、
それから身体を拭わずに部屋にもどって、びしょ濡れのままセックスをした。
その日は、明け方まで濡れた肌が乾くことはなかった。
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