れ】


 一時的に手錠を外し、それぞれが服を脱いでまた嵌めなおす。目もあわせず手錠を掛け合う。気まずい沈黙のままバスルームに入る。
 とっさに体が動いてしまったこととはいえ、人前で、しかも捜査員の目のまえで竜崎を抱きしめてしまった。
 今更ながら羞恥心が沸いてきて、竜崎と目を合わせることが出来ない。
 竜崎が無言でバスタブへ向うのを見て、月はシャワーブースに手をかけた。
「月君」
 しかし呼ばれて立ち止まった。
 腰をかがめて自動給湯システムを弄っている竜崎は、月に背を向けたまま告げた。
「一緒に入りませんか」
 バスルームは十分な広さがあるとはいえ、バスタブ自体はそれほど大きなサイズでもない。少なくとも男性がふたりで入り、手足を伸ばせる広さはない。
「狭いよ?」
「リラックスしに来たわけじゃないです」
 竜崎はこともなげに答えた。その真意がわからなかった。
「……」
 ピピピと音がしてバスタブの壁面から湯が流れ込み始める。瞬く間にバスタブの底を満たしだす。 白いつま先でアクリル樹脂の浴槽をまたぎ、踝にまで満たない湯のなかを指先で浚うようにして温度をたしかめてから、 膝を抱えて小さくなる。
 こたえの意図が読めず、月は暫らく竜崎を凝視した。竜崎は、バスタブのなかにうずくまり、 備え付けのアメニティグッズからバスバブルの小瓶をつまみあげ、キャップを外して瓶を逆さに倒した。 甘ったるいバラの香気がふわりと立ち上がる。バスタブに流れ込む水の勢いに巻かれ、卵白のようにふわふわとした泡が発生しはじめる。
 竜崎がようやく月を見上げた。月は一瞬目を逸らしかけ、途中で思いとどまる。
「何しているんです、月君。寒くないですか」
 バスルームの設定温度は服を脱いでも十分に暖かく感じられるものだった。そんなことは同じく裸身である竜崎がわからないことではないはず。
 だからその質問は本質ではない。
「………」
 眉間にうすく皺を寄せたまま、月がなおも見つめていると、竜崎は苛立たしげに指の爪に歯を立てた。
 濡れた赤い唇が捲くれて、鮮やかさに目を奪われた。
「月くん」
 その直後。
「私と入るのは嫌ですか?」
「……え?」
 率直過ぎるほど率直な、珍しすぎる物言いに、月はおもわず瞠目した。
 我ながら間の抜けた声が出てしまったものだと後悔したけれど、止めるまもなく呟きはもれていた。
「だから」
 居心地の悪そうにますますと膝を抱えて、竜崎がバスタブのなかで目を伏せる。身を凝らせると、脂肪の薄い、骨ばった体がいっそうごつごつと節くれだって見えた。
「今後、人前でああいった真似は二度としないで下さい」
 竜崎は上目遣いに月を睨んだ。
「誤解されたら困りますし、松田あたりにあとで揶揄されるのはもっと困ります」
「……」
「いえ、困るというか…」
「………」
「腹が立つ。二度としないで下さい」
 憮然とした言い方だった。
 見た目には怒気に毛を逆立てているようだけれど、そうではなさそうだった。
 月は小さくわらった。
 きっと逆なのだ。
 人前ということの反対の意味。
 予想が正しければ多分違う。
 竜崎にはそういう偏屈なところがある。まるで嫌われ者主義のように。
 だから分かりにくく遠まわしではあるけれど、要するに竜崎は二人きりなら抱きしめてもかまわないと言っているのではないか。
 もしくはそうしてほしいのだと。
「竜崎」
 くぐもった濁音を響かせてバスタブに湯が満ちてゆく。踝までしかなかった水位は、いつしか膝を抱えた竜崎の脛の中ほどにまで上がっていた。バスバブルに囲まれて小さく固まっている竜崎。月はゆっくりと歩み、バスタブの縁に腰を下ろした。
 黒い瞳が、月を見上げる。
 気難しげに眉を寄せているけれど拒絶ではない。
 相手との距離を測っている。
 投げかけたことばの意図を正しく理解しているか。
 そういうふうに見えた。
 だから月は、人差し指を伸ばして、しっかりと閉じられている小さな唇に触れた。
 すこしだけ濡れている唇を指先で撫でた。何度も撫でていると、おもむろに竜崎の赤い舌が爪を舐めた。
 予想したとおりだった。
 それで良いのだと褒められた。
 指先を生温かく柔らかい舌先に好きなようになぶらせる。竜崎の舌が熱心にからみつく。自然とその先の行為を匂わせる。
 湯あたりしたように意識がクラリとした。月は、固いエナメル質の歯の表面をぬるりと撫でた。
「…竜崎」
 呼びかけるとすっと竜崎が顔が離した。舌と指先の間には、僅かに唾液が糸を引いた。竜崎の舌がそれを切って舐め取る。
 月は立ち上がり、浴槽を跨いで湯に足を浸した。
 膝を抱えたままの体勢で、ずるずると横にずれた竜崎のすぐ脇に腰を下ろして、広げた足の間に細い体を挟んで抱き寄せる。骨張っている肩に手をかけて首筋に顔をうずめると、湯気にあたって濡れた肌からは、噎せかえるほどに強烈な甘いバラの匂いがした。
「竜崎」
 抱き寄せられた腕の中で、竜崎はゆっくりと肩の力を抜いた。捜査室の硬直しきった様子とは大違いだった。
 温められてうっすらと色づいている病的な白さの肌に、唇を寄せる。いつかの夜に残した淡い鬱血の痕。
 また柔らかく唇を寄せる。
「…ん」
 竜崎がくすぐったがるように首をすくめて、笑う。同じように微笑を浮かべながら、月は紅い痣を舌で舐め、それから強く吸い上げた。竜崎の体が震えた。
「月、君」
 不自然な具合に声が掠れ、その響きがお互いの体の底を熱くさせた。竜崎が微かに身を捩り、悟った月は腕の力を抜いて顔を離した。
 黒い瞳が、ひたりと月を見る。
 その奥に官能の揺らめき。
 そっと唇を近づけていくと、竜崎の目がゆっくりと閉じられた。
「………」
 瞼が完全に落ちたあと、月は薄い唇を割って舌を差し込み、熱い吐息を注ぎ込むような深いキスをした。



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