彼らの日々... |
04.07.15(thu) |
ふいに激しい雨粒の音がした。
松田は雨音につられて、高層ホテルの窓外に視線を向けた。 「さっきからゴロゴロ言ってたけど・・、とうとう降ってきちゃいましたね」 「松田・・集中しろ」 「あ、はい・・すみません相沢さ」 慌てて資料に向き直った途端、窓外に鋭い閃光が走る。 「うわっ」 ピシャ、ドカン──と、落雷の炸裂音。 「・・あ、落ちましたね」 平坦な感想を述べつつ、つまみあげた資料を放り出した探偵は、身体のなかのバネをはずませ、次々と飛び石のようにソファのうえをジャンプした。 床に着地した後、窓際まで寄っていって、濡れたガラスにペタリと額を押しつける。 豪雨を裂いて閃く雷光。 ゴロゴロと雷鳴。 両手をポケットに入れたまま、額だけを押し付けている体勢。 大人であるはずの探偵の、こどものような好奇心。 「奇麗ですね」 ぼそりと呟く。 それを聞いた松田はとても無邪気に、とても嬉しそうに微笑んだ。 「竜崎、雨が好きなんてカエルみたいですね」 「・・・」 無邪気な松田以外、捜査本部員は凍りついた。 |
04.07.16(fri) |
── ガシャン。
牢の施錠が解かれても、簡素なパイプ椅子に腰を下ろしたまま起きる様子もない。 ぺたりぺたりと音を立てて歩み寄る探偵は、年上の寝顔を不躾にもしげしげと見つめる。 それは苦悩が色濃く滲んでいる目元だ。まるで上司である探偵の隈を吸い取り、そのまま染み付けたように。 「・・・・・」 彼の息子を監禁してそろそろ50日が経つ。 いまだ猜疑は解かれないが、若い二人はまだいくらか平気だろう。しかしこの壮年の男性には長すぎた。 多分、限界なのだ。 「・・夜神さん」 同情はしない。 ただ彼は犯罪者ではない。 なのに自ら息子たちと同じ境遇に身を窶すことを望んだ。 父親だから。 戯れに、音にならない声で囁いてみる。 ・・おとうさん。 聞こえるはずもなく。その後、探偵はもはや無言で、手にした毛布を疲れた肩に掛けた。ふとももに置かれた手を包みこむように、毛布の端を寄せる。 ── ガシャン。 ふたたび施錠をして、毛布にくるまり眠ったままの総一郎に振り返る。 起きる気配の無いことを確認してから、ジーンズのポケットに手を入れてペたりぺたりと来た道を戻る。 「・・・・・」 猫背が歩む音はすっかりと遠ざかる。 総一郎は、耳を澄まして音が消えたことを確かめてから、ゆっくりと目を開いた。 |
04.07.17(sat) |
疲労による体調不良を理由に、夜神総一郎を無理にも一時帰宅させた。 しかし翌朝、彼は「くずきり」を土産に、捜査本部に戻ってきた。 御中元の余りものだから遠慮しないで食べろという。 「竜崎はこういった和菓子にあまり馴染みがないだろうから…」 総一郎は、手ずから半透明なガラスの器にくずきりを入れ、黒蜜をたっぷりと掛けてくれた。 体調を慮った私に対する謝意からだろう。 ほのかに甘い蜜の香り。 食欲を無限にそそる涼しげな本葛。 しかし私は固まった表情で手を出せずにそれを見つめた。 「どうしたんですか、竜崎。食べないんですか?」 相伴にあずかり、ちゅるちゅると美味しそうにくずきりをすする、松田の手元を見つめ、私は恨めしげに問いかける。 「松田さん。くずきりは、お箸で食べなければいけないものでしょうか?」 「えーと、・・・ええ?」 目の前に置かれた一膳の箸を見つめる。 口をヘの字に曲げたまま、ショートケーキ用のフォークに手を伸ばした。 「・・・・・」 フォークを使い、器に口を付けて犬食いをはじめた私を見て、総一郎が哀しげに呟いた。 「すまない・・・竜崎」 |
04.07.19(mon) |
ワタリ──と、右腕たる老翁を呼ぶ。
「限界だと思うか?」 「──はい」 監禁から約50日。 彼らの体力も、そして捜査としても限界だろうか? 「・・明日、夜神さんに協力を願う」 「はい」 「賭けだ」 「と・・言いますと?」 「夜神月と弥の処刑が決まったことにする」 「はい」 「しかし父親としての責任感から、夜神さんは月くんを自らの手で処罰しようとする」 「・・・・・」 「もし月くんが記憶喪失のように振舞っているのであれば、殺されそうになったとき、恐怖心から父親を殺害しようとするかもしれない」 「・・それは夜神さんが危険なのでは」 「だから賭けなのだ。私がすべてのシーンを監視し、万が一の事態に備えるが・・・」 「・・・・・」 「ただこの策戦には、ひとつ問題がある」 「なんでしょうか?」 「まあ、これも賭けるしかないが・・・」 ワタリはゴクリと唾を呑んだ。 賭けとは──。 「・・・・」 「夜神さんは、演技が上手だろうか?」 「・・・・・」 「率直な意見を。ワタリ」 「・・・・・」 「・・・ワタリ」 |
04.07.20(tue) |
偽装処刑の話を聞き終えた総一郎は、青褪めた顔で、深々と溜め息を吐いた。
「夜神さん。大丈夫ですか?」 「ああ・・・」 「三日後に実行します」 「竜崎」 「はい」 「もし失敗したら」 「そのときは」 竜崎はそこで一旦口を閉ざした。 「・・・・」 総一郎は、喉を鳴らして唾を飲み、緊張した面持ちで探偵を見つめる。 目も逸らさずに竜崎は淡々と告げる。 「月君の拘束はさらに五十日延長」 「・・・・」 「夜神さんには、致死量にも等しいシュガーの入った紅茶を、ひといきで飲み干していただきます」 「・・・竜崎、冗談は」 「いえ本気です」 「・・・・・」 「私は本気です。血糖値に気をつけてください。ワタリに用意させます」 「!!」 総一郎はますますと青褪め、必ず成功させることを誓い、こぶしを固めた。 |
04.07.22(thu) |
「・・いよいよ明日か」 「そうですね」 「竜崎」 「はい」 「私は息子を信じている」 「はい」 「・・月を、信じているんだ」 「・・・・・」 幾度となく繰り返されたことば。 しかし竜崎の眼は嘘を見抜く。 明日の偽装処刑で、総一郎が撃ち抜くのは疑心暗鬼だ。 だからそれは信じているのではなく、『愛している』だ。 「知っています。夜神さん」 だから利用できる。 |
04.07.23(fri) |
「仮釈放されたご感想は?」 「嫌味だな。容疑は晴れていないのに」 「髪、伸びましたね」 「ん? ああ、50日も監禁されていればね」 「切ってさしあげましょうか?」 「え?」 「こうみえても上手なんですよ」 「嘘だろ」 「本当です。そちらの椅子に腰をかけて」 「おい竜崎・・」 「資格は持っていませんが、こういったことは勘とセンスで何とかなるものです」 「嘘をつくなっ!」 「別にミスってもいいじゃないですか?」 「どうしてだ?!」 「だってその髪の毛、カツラでしょう?」 「ふ、ふざけるなー!」 |
04.07.24(sat) |
手錠生活をするにあたり、ルールを決めようと月が言った。 竜崎は、めんどうくさそうな顔をしながら、 「まあ共同捜査にはルールを決めることは大切かもしれませんね」と、受け入れた。 「トイレは?」 「1日3回」 「いや・・そうじゃなくてさ」 「?」 「・・まあいいや。食事は?」 「1日1回。間食は無制限」 「・・・・睡眠は」 「午前2時から午前6時までの4時間」 「・・・・」 月はガクリと肩を落とす。 「・・あのね竜崎、人として最低限の生活水準を守ることは、 憲法でも決められていることなんだよ?」 「知っています」 「だったら・・・」 「キラ捜査本部では、私が憲法です」 「………」 |
04.07.31(sat) |
新築の特別キラ捜査ビルに引っ越すことになった。
しかし忙しなく資料を箱詰めする捜査員たちを傍目に、竜崎だけは悠々とソファに座り紅茶を飲んでいる。 「竜崎、少しは手伝う気にならないのか」 僕はもはや諦観のまなざしだが、いちおう声を掛けてみる。竜崎はさらりと返す。 「月くんこそ、手伝わないんですか?」 「…おまえが動かない以上、手錠でつながれている僕が、どうやって手伝えるんだ」 「ああ、引っ張ってくだされば動きますよ」 「へえ…」 ──数分後。 僕は、汗だくになりながら『荷物』を引っ張っていた。 ホテルの床は毛足の長い絨毯だ。 「引っ張ってくだされば」の前言の通り、竜崎は丸椅子に座り、 資料を抱えて移動だけはしてくれるものの、立ち上がって歩いてくれるとか、そういうことは一切しようとしない。 言ってしまった手前、撤回はしたくない。 明日からは腰をすえてじっくりと捜査に集中できるのだ。 僕は、こころからもう二度と引越しをしなくて済むことに感謝した。 |