memo... |
『Who moved my "KIRA" ?』 |
ガャンっと云う音がして、捜査室の皆が一斉に振り向いた。 そこには猫背に突っ立った青年がひとり。 彼の足元には、白い陶器の欠片が散乱している。 ティカップを落としてしまったようだ。 思いがけない失態にぽかんとした表情でぱちぱちと二度、三度、大きな黒目を瞬かせる。ぽりぽりと頭を掻く。 やっちゃいましたね。 そう呟いてしゃがみこみ、Lは割れたティカップの破片に手を伸ばした。ティカップをソーサごと持って立ち上がり、椅子から椅子へと移動しかけたところ、うっかり手を滑らせて落としてしまったのだ。 大丈夫か、竜崎。 総一郎が声を掛ける。 あ、僕が片付けますよ。 松田が言う。 ええ、まあ…と言葉を濁して腰を折ったLの指は、白磁の欠けた切っ先よりもまだ白く、指先と白い破片を見つめながら、月はぼんやりと不安に思った。 危なっかしいな。 いまの竜崎は、気が緩みすぎている。 そう思ったら──案の定だった。 「っ」 指先がティカップの白い破片に触れた瞬間。 痛っ、と、Lが呟いて、細い指先を宙にはねあげた。 あてどなく漂う指先に月は思わず視線を寄せる。その指の腹にぷっくりと膨らむ血の玉がひとつ。このところ、キラを見失い、Lの精神は倦怠のふちに堕落していた。やっぱり油断していた。 切ってしまった。 「竜崎〜」 松田が心配そうな声をあげる。 言わんこっちゃ無いなと相沢も渋い顔をする。 しかしLは彼らの反応に頓着せず、物珍しそうに皮膚を伝った血を眺めていた。傷口から溢れ出したLの血は、半球の形に膨らむまえに、重力に引き摺られて、ゆらゆらとよれた軌跡を描いて垂れた。 赤いです。 と、Lが呟く。 竜崎。 月はLの血を見て思わず眉をしかめた。音をたてて椅子から立ち上がり、歩み寄ってLの指を捕まえる。手首をつなぐ鎖と鎖がぶつかって乾いた音を立てる。 竜崎、大丈夫か? はい。平気です。 血が……。 たいしたことありませんよ、これくらい。 そうか。 そうですよ。 うん、…そうだよな。ちょっと切っただけだ。 …はい。しかし月君。 ん? 月くんこそ、大丈夫ですか。 ── え? 訊かれ、月は目を瞬かせた。 すごく顔色が悪いですよ。 そう告げて、Lの黒目は深いところを射抜くように月を見つめる。月は激しく瞬きをした。心臓がいやな音を立てて拍動していることに気付く。背中にじわりと滲む汗。月は目を伏せた。 動揺していた。何故だ。分からなかった。何に、混乱してしまったんだろう。 Lの血の色は奇麗な朱で、あの色は黒い。 ……あの色? ああ、そうだ…… あの色だ。 意識のなかに残る色。 思い出して、月は深い息を吐いた。 コンビニで雑誌を立ち読みしていたとき、目前の道路で跳ねられたバイクの男。 ユリとスペースランドに向かったとき、乗り込んできたバスジャックの男の無残な末路。 あの、血の色だ。 一体、 いつからだろう。 月の周りで血が流れるようになった。見慣れるはずの無い、赤い色が鮮やかに記憶を染めるようになった。 忌まわしく、 不吉な 死の匂いと共に。 こみあげてきた嘔吐感に月は思わず口元へ手を当てた。 大丈夫ですか、ライト君? …ちょっと気持ち悪くなっただけだ。 血が苦手ですか。 苦手じゃない人っているのか? 私は平気ですよ。 そう言って、流れる血を興味深げにLは見つめる。 こんなもの、たいしたことありません。舐めればすぐに血も止まります。傷も一切残らない。子供の頃、喧嘩をして、もっと酷い怪我をしたこともありますよ? そりゃ僕だって喧嘩はした。でも、それとこれは話が別だよ。 そうですか、あまり変わらないと思いますが。 月は一度、口を閉ざした。Lを真面目な顔で見つめ、問いかける。 これ、舐めれば止まるんだな? え? Lの指先をぐっと引き寄せ、自分の口に含む。細い指先に舌を絡めて舐る。突然のことに、Lは反射的に身を固くした。 月は睫毛を伏せた。熱い口内に含み、指先に、柔らかい舌先をまとわりつかせ、滲んだ唾液ごとLの血をちゅっと吸い込んでLを解放した。 死ぬなよ。 竜崎。 死ぬときは、僕も一緒だからな。竜崎。 言われたLは不思議そうな目をした。そして微かに笑った。 大丈夫ですよ。私は死にません。 ──あなたが私を殺さない限り、ですけれどね。 |
『"神様" は何処へ消えた?』 |
月のこれまでの人生は退屈なほどに完璧で順調だった。すべてが思い通りだった。 中学のテニスで全国制覇を成し遂げた。高校在学中は全国模試で一位をキープし続けた。予定通りに東応大学にも進学した。あの頃、きっと月の傍には神様がいたのだ。すべて実力だと信じていたけれど、見えざる手によって人生を支えられていたのだ。しかしKIRAが現れると同時に消えてしまった。何処かへ消えてしまった。どうして。 Lの言い草に月が怒り、一悶着があった後。仲裁に入った捜査員達に散々となだめられて、ようやく落ち着いた二人がそれぞれ定位置に戻り捜査を再開したとき。Lが、ふと思い付いたように口を開いた。 そういえば、キラの殺人は「心臓麻痺」ですよね。 …そうだな。 今度は何を言われるのだろうと警戒して憮然と答える月へ、Lは問いかける。 どうして心臓麻痺なんでしょうか。 どうして、って? 心臓麻痺は、医学的には心室細動に当たります。心停止の一種です。肉体の内部、心臓の機能停止ですから、外観からはわかりません。 だから? 心臓麻痺は、血流と直接係わりがあるのに、血を見ることはありません。 ……。 死もしかしたら、キラも血が苦手なのかもしれないですね。 モンブランの山を突き崩しながら淡々と告げたLのセリフに思わず立ち上がり、しかし揺れない竜崎の表情を見た途端怒りが限界を超えて、反動でふっと気が抜けてしまった。 椅子にどさっと越を下ろし、額に手を当てて俯く。 ハラハラと二人の様子を伺っていた松田が驚いて駆け寄る。 大丈夫、ライト君。 肩に置いて、心配そうに月の顔をのぞきこむ。月は、その手を振り払った。 同情なんて冗談じゃなかった。ここから今すぐ消えてしまいたかった。けれど月はここから逃げることも出来ない。まるで心筋にトゲが突き刺さったような、鋭い痛みに胸を貫かれて月は涙を堪えた。 一体、 いつからだろう。 神様は、 何処かへ消えてしまった。 順調だった。人生の道程はずうと先まで見通すことができるはずだった。なのに今は見えない。 僕はキラじゃない。 呻くように呟くと、ふっと溜め息をついた竜崎が面倒くさそうに横を向いて応じた。 そうですね。 |