子供のことだから




竜崎の白くて骨張った指先が、分厚いファイルのページをつまんで丁寧に一枚のページをめくる。つづけざまに胸の前で腕を交差させて次のページをめくる。
読むというよりは、ただページをめくりつづけているだけのような早いスピードだ。例えばたまたま手にした大型の風景の写真集をパラパラと捲って眺めるような。

だから僕は不思議になる。
本当にちゃんと読んでいるのだろうか。
大切なことや重要なことをなにか見落としたりしないのか。不思議になった。


不思議と云えば―僕は以前見たテレビ番組を思い出す── 天才少年、天才少女を特集した番組で、カメラに映し出された子供たちが与えられた教科書をバラバラとすごいスピードでめくっていたのだ。そして子供たちはそれだけですべてを暗記していた。すごいと思った。
でも、子供のころは誰だってできた。みんな、だれもが一瞬で本を暗記することができたと、どこかの大学の教授が解説していた。大人になるにつれて能力は消えてしまうのだ。
本に記された文字をひとつずつ読む、ということを覚えるにつれて、一瞬で全体を記憶するという生まれ持った能力を失ってしまう。 大人になってしまった今の僕には竜崎が本を読む姿はとてつもなく神がかったように特別で特殊に感じてしまうけれど、でも子供の頃は、僕にもできたのかもしれないのだ。

── チャイルド・フッド。

と云う英単語があたまに浮かんで、僕は思った。
そっか、竜崎は子供なんだ。子供だと思うとなんだかとても納得した。
だって竜崎はほんとうに子供だ。
法律を逸脱した強引で徹底的な捜査方針も、人を顎先で使う傍若無人な態度もまるで子供じみている。

相手が子供だと思うとなんとなく例の僕を侮るような言い草も許せるような気がした。
子供はいつだって自分が世界の中心だ。
いつも夢中でゲームに没頭するし、あらゆる手を使ってゲームに勝とうとする。そうして日が暮れたことも気付かないくらい一所懸命になって目の前のことに熱中しまうのだ。甘いものを食べるのも大好きで、まるで子供嗜好。
竜崎はきっとまだ神さまの目の届くところにいる、ちいさな子供のままなのだ。そう思うと少しだけ竜崎を可愛いと思えるような気がした。
子供相手に目くじらを立てても仕方ないと思えるような気がした。
年齢はどうかわからないけれど、精神的にはきっと僕の方が大人なのかもしれないんだから──多少のことは許してやるのが、大人としての器量だろうと思えるような気がしたのだ。



「松田……さん」
竜崎が僕を呼ぶ。名前と「さん」の間になんだか間を感じたのだが気にしないことにする。
「はい」
「それ処分しておいてください」
振り返りもせずに── 、僕の顔も見ずに、指だけで示される。竜崎の指先は、小象ぐらいの大きさにまで積まれた書籍と雑誌の山があった。
「こ、これを、ひとりで、ですか……?」
ざっとみつもっても、僕一人で作業をしたら二時間やそこらじゃ終わらない量だ。本音は模木さんに手伝ってもらいたいけど……。
でも、きっと……。
「暇なのは松田さんだけですからひとりでお願いします。あ、以前のように、そのままビル前のゴミ集積所に捨てるなんてことはしないでください。地下の溶解炉できちんと溶解処分してくださいいいですね?」
そっけなく告げてひらりと手のひらを廊下へとつづく、ドアの方にむける。
案の定。
がっくり。
「台車は地下にありますので自分で取りに行って下さい。よろしくお願いします」
そう告げて会話は終了する。指示を出す間、一度も僕を振り返らなかった。
でも我慢だ、── 我慢。
きっと僕を苛めてからかいたいんだ。


『松田、………さん』
「なんですか、竜崎」
台車を押しながらエレベータに向かっていた僕は、ポケットの内側で携帯電話が鳴り出したので慌てて通話ボタンを押した。 普段は電源を切っている。けれどついさっき廃棄作業をはじめたころに竜崎から入れるように指示されたのだ。
その直後の電話に僕は何事かと思って飛びついた。
「捜査に、なにか進展があったんですか?」
『いいえ特には』
竜崎はすっぱりと即答。
『それよりも至急、銀座のラドュレのマカロンを買ってきていただけますか』
と言ったのだ。
………………マカロン。
捜査よりもマカロン。機密書類の廃棄よりも至急なんだろうか。
『十五個入りのボックスを五つ、お願いします』
僕はため息をついた。
── わかりました」
我慢だ、我慢。
だってほら、子供のすることだから。



そして約二時間後。最後の山を運び終えたあとに買い物も済ませて捜査室に戻ってきた僕を見た竜崎がひとこと。
「松田。遅い」
「……」
「至急と言ったはずです。ゴミの処分よりも、先にという意味で言ったのですが」
僕は、こめかみに青筋が浮かぶ心地だった。

でも我慢だ。我慢。

だって── 竜崎は子供だから。
子供のすることだから。

……そう想いながら、でもどこまで我慢すればいいんだろう、と。
僕はぼんやり思っていた。


我慢しすぎて、怒るタイミングがわからなくなった松田さんの話、でした〜
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