おかえりなさい
後ろ手に両手首を手錠で拘束されたまま、父・総一郎の温かい掌に肩を押されて、僕はホテルの部屋に入った。出迎えたのは竜崎。デニムのポケットに両手を入れて、猫背をまるめて立っている。
僕の視界の隅、竜崎の背後には、安堵の表情を浮かべた松田や相沢の姿が見える。そうしてようやく僕は、解放されたことを実感した。
パタン。ガチャ。
「ライトー、怖かった!」
手錠が外されると同時に、ミサがしがみついてきて、シクシクと肩を震わせる。戸惑いながらも小さな肩を抱いて、もう大丈夫だよ、と優しく慰めながら、僕はすこしこわばった顔をしたまま竜崎を見つめた。
「竜崎、こ」
「はい。月くん。お疲れ様でした。ミサさんも。怖い思いをさせてすみません。もうあんな真似はしませんので安心してください」
言いかけたのを遮り、竜崎が殊勝な謝罪を告げる。
が、手をデニムのポケットに突っこんだまま、出そうともしない、無礼な態度を正そうともしないので、おそらく先の言葉は上面なのであろう。僕は遮られた言葉をつづける気力も失せて、小さく肩を落とした。
「……とにかく彼女を休ませてやってくれないか?」
ため息交じりに提言すれば、あっさりと首肯して、竜崎は隣室へとミサを招く。
「そうですね。ミサさん、どうぞこちらへ」
「えっ、ライトは?」
ミサに向かって優しく微笑する。
「僕は平気だから。休んでおいで、ミサ。まずはゆっくりと湯船に浸かって、リラックスしてくるといい」
「えー……」
愛する人から離れがたい気持ちに不平の声を上げつつも、第二のキラ候補として拘束・監禁された生活で久しく遠ざけられていたバスルームの魅力に誘惑され、ミサは比較的おとなしく松田に案内されて別室へと移っていった。パタンと扉が閉ざされて、僕は深呼吸をひとつ。竜崎に向きなおり、腕組みをしてにらみつける。
「まさか父さんに死刑執行の演技をさせるなんてな。なかなか強引な手法だ。でも有効だよ。驚いた」
「そうですか。道徳・倫理に些か無理のあるシナリオ設定でしたので、月くんが、夜神さんの演技を看破する可能性も高かったのですが」
「残念ながらそれはない。父さんは迫真の演技だった」
「そうですか。よかったです。おかげで月くんのキラ容疑が一パーセントほど低くなりました」
「はは。嘘ばっかり」
言うと、竜崎は小首を傾げて、すみませんと呟いた。
その「すみません」がどういう意味にあたるのかと少し考えて、思いついた答えに関して、溜め息をつく。
見破られた嘘に対する謝罪ではないと思う。たぶん、くだらない冗談を言ってしまったことへ詫びたのだ。
竜崎が抱く疑惑はたやすく払拭されるものではない。しかし一パーセントも低下していないとは。空砲であったとはいえ、真に迫って殺されかけて、脅かされただけ、損したわけだ。
「とにかく疲れたよ」
手首をさすりながら、休ませてほしいと暗に告げた。
小さく頷いた竜崎はどうぞこちらへと呟いて歩き出しかけて、ふと僕を振り返る。
「言い忘れていました。月くん」
「ん?」
「おかえりなさい」
「え」
突然のことに驚いて声を上げた。
目が合うと、竜崎はきょとんと首を傾げた。当たり前の言葉だろうと云う表情だった。だからまるで、ただいま、と言わざるを得ない雰囲気に僕は流された。
「え、え……と……。ただいま」
「はい」
面喰ったようすの僕を見て、竜崎はまた小首をかしげる。
「おかえりなさい」
つぶやいて、そして僕に背を向けるように踵を返して歩き出す刹那。
僕は目撃してしまった。
僕から視線をそむけて、前を見据えた竜崎の表情は、らしくもなく曇っていた。
それは、まるで、キラは「ただいま」だなんて、そんなことを言ったりしないとでも云うような、不満げで暗欝な表情だった。
唇をかみしめる。
(だったら、おかえり、だなんて言うな)
まるで『僕』との再会を待ち焦がれていた、と、期待させるような言葉なんて。
fin
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