私が菓子を
Lの目のまえのテーブルにふたつの麗しいデザートが置かれている。
ひとつは、蜂蜜がたっぷりと掛けられた濃厚なバニラアイス。
もうひとつは、チョコレートクリームが添えられたふわふわのワッフルだ。
前者は、舌のうえに乗せたとたんにひんやりと冷たい刺激、即座にとけだすバニラアイスと蜂蜜の絶妙な味わいに舌の上で歓喜を感じることができるだろう。
後者は、噛み締めたワッフル生地から滲むシロップの甘美と、同時にくちいっぱいにひろがるビターチョコレートの大人な苦味に胸を躍らせることになるだろう。
すでに周知のことであるがLは大変な甘党だ。世界の菓子はすべからくLの舌を魅了して止まない。彼の目の前に置かれたふたつの菓子は、どちらもともに素晴らしく、
どちらもともにLは愛すだろう。
しかし残念ながらLはひとりである。そんなLの気持ちになって考えていただきたい。
それはデリケートな選択問題だ。決断はLにとって些かの辛苦を伴うかもしれず、ゆえにLの身になって考えて想像していただきたいのである。
気に入りの椅子に座り、デザート用の銀のスプーンを手にする。
いざ伸ばしたスプーンは、目の前のふたつの菓子の前で躊躇する。
Lはただひとりの席に座る者である。
その彼は、同時にふたつのデザートを賞味することができない。双方を混ぜて食べるといった個性を殺したやり方は認められず、
より好ましいという理由を付けた上で、いずれかの菓子を選ばなければならない。
そんなふうに、ふたつのデザートを目にしたとき。
あなたであれば、一体どちらの甘味を選択し、銀のスプーンを口に運ぶだろうか?
* * *
歓声が響き渡るワイミーズハウスの園庭。
子供たちは明るい笑顔で遊戯に興じる。
彼らは遊びの天才だ。
必要な遊具がなければ身近な廃物からも作り出す。
そう、例えば、私の足元の地面に屹立しているジュールリメ杯。
手製のトロフィーカップは、上半分をカッターで切り落とし、プラスチックの胴部のまわりに銀のアルミホイルを巻き付けたペットボトルだ。
中には、ゲームに参加した子供たちのポケットから集められたコインがぎっしり詰まっている。
ワンゲーム十五分、終盤に差し掛かったゲームの行く末は如何に。
棒切れでずいっと引かれたライン際に、私はひっそりと立ちつくす。
しばらくゲームを眺めていると、幾人かの子供が私に気付き、あ、という顔をした。
手近な友の服を引いて目線を交わす。
ワイミーさんが来ているよ。
久しぶりだね。
しかしいまはゲームの方が重要だ。子供たちのピンク色に上気した頬にうかんだ笑みはすぐに引っ込み、私にいいところを見せたいがため、
ますます真剣にボールを追いかけて駆け回る。
「メロ!」
その中に金色の髪の少年がいる。
「ボールまわせよっ!」
日のひかりに透けて銀糸のようにきらきらとかがやく、まっすぐで奇麗な髪の少年だ。
「……っと」
ゴール前にあがったセンタリングが、走りこんだ味方の頭上を飛び越えていった。チャンスだったのに。ミスを犯した仲間に対して強い目線を向ける。
金髪のメロの表情が舌打ちに歪む。
しかしボールの転がった先が、私の足元であることに気付いたメロの表情は、瞬く間に笑顔に変わった。
ぱっと金色の大輪のヒマワリが咲き誇るような満面の笑みを浮かべる。手をあげて合図を送ってくる。
私は手招きをした。
小ウサギのように全身をはずませて駆けてくる小柄な少年。
小さなあたまに、温かい掌を乗せると、メロはうれしそうにニっとわらった。
「メロ。元気ですか」
「ああ、変わりないよ」
足元に視線を落とす。
「それはよかった。このトロフィーは、メロの発案ですか?」
「まあね。小銭でもやっぱり賞金がなくっちゃつまんないだろ。あ、ブックメーカーの非公認のトトカルチョだからって賞金の没収は無しだぜ?」
「そんな無粋は言いません。が、掛け金はひとり一ポンドまでにしておきなさい。高い掛け金を無理矢理集めてはいけませんよ」
「……は、あーい」
言われてメロは渋々といった表情で返事をした。高額賞金を賭けているのかもしれない。私はやれやれと苦笑い。
メロは生まれついてのガキ大将だ。
自分の世界をつくり、人を動かして前進する強さとアイデアを持っている。緻密なロジックを組み立てることも不得手ではないが、適性、生まれもっての素質は変えられない。
たとえメロがそのすべてを引き換えにして欲しいと願うことがあったとしても、変えられない。
「メロ。ゲームが終わったら、すぐに来てください。話があります」
「え、俺、怒られるの?」
「怒られるようなことをしたんですか?」
「……えーと」
メロは鼻の頭をかいて目線を横に逸らした。
あははとから笑いをして誤魔化そうとする少年はなにやら後ろ暗いことがあるようだ。呆れながらも視線を和らげ、私は
さらさらした髪をぽんと軽く叩いてやった。
「サッカーの試合が終わったら、ロジャーの部屋へ」
「うん、わかった」
少し困ったような表情で不承不承にうなずいたメロが、ふと一瞬黙りこみ、ワイミーと小さくとって付けたように私の名を呼んだ。
「あのさ」
「なんですか?」
「俺、さ」
メロは躊躇するように言い淀み、サッカーボールを両腕で抱きかかえた。
「Lに逢ってみたいんだけど」
何げなさを装って訊ねるメロに、思わず口許に笑みが浮かぶ。
「大丈夫。すぐに逢えますよ」
「……ああ」
「メロは寂しがり屋ですね」
告げると、メロは丸くておおきな目をさらに見開いて、何も言わずにアカンベエを返してきた。
* * *
メロと別れてハウスの扉を叩いた。
ひさしぶりに足を踏み入れたハウスの廊下は、人の気配がなく静かだった。
恐らくほとんどの子供たちは外で遊んでいるのだろう。石の廊下を歩むと、靴の踵が石に跳ね返り、硬い音が響いた。コツ、コツ、コツ。同じリズムでテンポよく。
歩いていると、扉が半開きになった、ある部屋のまえを通り過ぎたところで、背後から声を掛けられた。
「ワイミーさん」
冷ややかな響きを持つ、砂糖菓子のように柔らかい声。
「お久しぶりです」
立ち止まり、ふりかえると、ゆったりとしたサイズの白い服を着た少年が、扉に手をかけてこちらをじっと見つめていた。
まるで子猫のように密やかに。
「ニア」
名を呼ぶと、ニアは小さく会釈をした。
「私だと、よく分かりましたね?」
ニアはたいしたことではありませんというふうに首を振る。
「あなたの足音を覚えていました」
「なるほど。そうですか。ニア、元気ですか」
「元気ですよ」
「部屋でパズルをしていたんですか」
「はい」
「いつものように、内側のピースから組み立てて」
「はい」
「難しくはないですか」
「難しくはありません。それに」
歩み寄ると、蝶番が軋んだ音をたてた。
ドアがいま少し開かれる。
丸めた手のなかに数個のパズルを持ち、ニアはくるくるの巻き毛の下から、上目づかいに私を見上げた。
「難しいものほどやりがいもあります。ですが、このパズルはもうすべてのピースを記憶してしまいましたので、
一目見ればどのピースがどの部分に当て嵌まるのかわかってしまいます。もっと難しいものが欲しい」
「わかりました。手配しましょう」
私は微笑んで小柄な少年のあたまに手を乗せた。
子供扱いされることに慣れぬ少年は、あたまを撫でられながら無表情に視線をおろして床を見つめた。
困惑しているのだ。
ワイミーズハウスの子供たちは親を知らない。無償の慈愛に甘えるすべを知らぬまま、ひとりで立つことを覚えて瞬く間にハウスを去っていく。
本当に、あっという間に。
しかしニアのような脆弱な突然変異の少年が、ひとりで生きるすべを身につけることができるのか。ハウスを出てひとりで生きることができるのか。
私には、まだ分からなかった。
「ニア」
ハウスのなかに発生した白い雪雲のように、しろくて儚げな少年。
「なんですか、ワイミーさん」
「パズル以外にも難解なものはあります」
「はい」
「あなたはパズル以上に難解なものを、遠くない未来、手に入るかもしれません」
「……はい」
「ですので、今その手元にあるものが完成したら、ロジャーの部屋に来て下さい。少し話をしましょう」
言われたニアは、何かを察したように目の奥にするどい光をはしらせた。
「はい。すぐに向かいます」
* * *
ニアとメロ。
ワイミーズハウスで
もっとも優れた二人の子供。
Lの後継者候補。
しかし、それ以前に彼らは愛すべきワイミーズハウスの子供たちである。
* * *
世界一の名探偵はどうやらご機嫌斜めらしい。
「L」
ロジャーが不在のロジャーの部屋でアイボリーカラーのソファに座り用意されたバニラアイスにもワッフルにも手を付けず、
私が近付き声を掛けると恨めしそうな目線を投げて、不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。
これはまったく手に負えないほど臍の曲ったありさまだ。
「L、何を拗ねているんですか」
「……」
「私と話もしたくない?」
「……」
おもわず溜め息をついて肩をすくめる。
「まったく、おとなげないことですね。折角のアイスが溶けてどろどろになっています。そうやってひねくれて食べないのでしたら、もう下げてしまいますよ」
わざとらしいくらい丁寧に断わりを入れて皿を提げようと手を伸ばす。
すると、途端にLは憮然とした声をあげた。
「ワイミー。だめだ」
私が伸ばした手の甲を突っぱねて、アイスの皿をガードする。
どろどろになっても食べる気なのだろうか。
必死に守りを固めつつLは間近で私を睨んだ。感情の起伏をあまり表に出さない彼にしてはめずしく、黒い目のなかに嫌悪にも似た色に滲ませていた。
私はもう一度ため息をついた。
「L。なにを怒っているんだ」
「怒っていない」
「少なくとも拗ねているね」
「いや。ちがう。ただ私はいま彼らに告げることが最良の選択だとは思わない」
「L、どうしたら納得するんだ?」
「ワイミー。教えてくれ。ふたりに―ニアとメロに―、ニアを、次代の“L”に選んだと。なぜいま告げようと考えたのだ」
言いながら、Lはアイスの皿を私から遠ざけてテーブルの端に置いた。
かわりティカップをソーサごと手元に引き寄せて角砂糖を手のひらいっぱいにつかむ。ぼとぼとと数個まとめて落とし込む。不機嫌なときの悪癖だ。華奢な人さし指と親指でスプーンをつまんで紅茶に浸す。
ぐるぐると掻き回す。
溶け残る砂糖の塊がティカップの底でざらつく音を立てた。
どうせ飲みもしないのに。
「不服か。L」
問われたLは黙って小さな水鏡を覗き込んだ。
しばらく考え込むように沈黙を守っていた口がゆっくりとひらかれる。
「時期尚早だ」
きっぱりと言い切って私を見上げる。
「私はまだ引退する気もなければ、おまえ以外の人間の手助けを必要ともしていない。ワイミーは私を早々に隠居させたいのか?」
「まさか。Lが“L”としての仕事を愉しんでいることはよく知っている。犯罪捜査に嫌気がさし、飽きないかぎり、できるかぎりつづけたほうがいい」
「だったら、彼らにはまだ告げるべきではないだろう。私は辞める気など毛頭ない。それに」
と言ってLはことばを切る。
Lの話す順序はいつもそうだ。
先に建前が来る。
そして本音はいつもまるでとって付けたように、最後にようやく語られるのだ。
「それにあれはまだ十五にもなっていない。さすがにまだ早いのではないか」
メロは十四。
ニアに至ってはまだ十一だ。
「そうだな。わかっているよ、L」
「もう少し先でも」
「いいや」
言い募る猫背の探偵弁を遮り、私は微笑む。
わかっている。
わかっているよ、L。
ニアを次の“L”として扱ってしまえば、今後Lに関わるすべての災禍と責任を、あの子ひとりが背負うことになる。
まだ十二にもならない子供に背負わせるには、Lという称号の持つ荷は勝ちすぎる。
それはひどく重いだろう。
ましてやニアはあのような子だ。
いつかのLとのテレビ越しの会話では、攻撃的な目でじっと黙って睨んでいた。
見た目ほど弱々しい性格ではないとわかっているが、まだ十一歳。内面に脆弱性を感じるというのも本音のところだ。まだ早いと懸念する
Lの言い分の痛いほどにわかっている。
しかし私は不安になってしまうことがあるのだ。
子供たちよりも幾分か生きた年月が長い者は見通す力に長けてくる。老いた身は、しきりと終わりを懸念して先回りに用意をしようとしてしまうのだ。
私はいつまでも変わり者で孤独で優しい探偵の傍に佇み、彼を守りつづけることを許されているわけではない、そのことを
誰よりも知っている。
いつまでも彼の傍らで見守りつづけたい。
しかしそれは叶わないのだから。
その日のことを想うと私の胸はイギリスの曇天よりも厚い灰色の雲で覆われてしまう。
けれど、彼より遥かに長い年月を生きた自分は、いずれ死の決別を迎えなくてはならない。
L。
柔らかく呼びかける。
「たしかにまだ早いかもしれない。しかし次の“L”を決定しなければ、ふたりはいつまでも“L”の候補なのだ」
「……」
「“L”のレースに関わり続ける。そのために閉ざされる未来があることを考えてほしい」
告げると、青年は押し黙ってくちびるに指を寄せた。
ワイミーズハウスは、世界中に支部を持つ養護施設だ。幼い子供たちの成長と未来を守るために設立した。
同時に“L”という青年の才能に魅了された私が、次のハウスに暮らす全ての子供たちは、次期“L”の可能性を背負っている。
その事実を知る者は少ない。
事実を知らされた者だけが実際に“L”の候補として扱われる。
その中でLになる人間はただひとり。
ニアとメロ。ワイミーズ・ハウスのナンバー・ワンとナンバー・ツーの子供たち。
実際に“L”候補であることを告げられた子供たち。
Lが決断を下さなければ、ふたりはいつまでも“L”を追いつづける。
「人はいつまでも同じところにとどまることを許されない。自分の才能を信じて未来を選んでホームを出る。ニアとメロも同じだ。いずれホームを去る日が来る。そのときは確実にどちらかが“L”を継いでいくことになる。私たちは彼らを信じて託すしかない」
成長と決別。
「だから私は、ニアに次の“L”を託すことにした」
L、と名前を呼びかける。
「メロを“L”の呪縛から解放するために」
「解放、ですか」
Lはがりりと爪を噛んだ。
「そうだ。解放だ」
ニアを次期“L”に選ぶ。
メロを候補から外す。
それは逆説的に、メロを“L”の目標から解放し、彼が持つ素晴らしい素質に根ざした目標へとシフトさせることになる。
メロにはあちらの世界がよく似合う。
手製のトロフィーを作り出す瑞々しい発想力。明朗な性格。
多少他の子より悪知恵が発達していて厄介なところはあるものの、メロは子供たちの輪の中心になって新しい世界を作るパワーがある。
いまはただひたすらニアに勝ち、 “L”なることだけを望んでいるため、別の道を歩み大成する可能性に微塵の興味も抱かないだろう。
“L”以外に道が拓けていたとしても敢えて目を瞑ってしまうだろう。
だからこちらから決別を告げよう。
解放しよう。
ひるがえってニアを見てみれば、残念なほどにニアはLの幼少期と似ているのだ。ひとりでいることを好み、パズルを相手に内向世界と向き合いながら日々を過ごしている。
Lも昔は、ニアと同じようにひとりを好んだ。
無論今でもその傾向は顕著だが、しかしLは犯罪捜査と云う“世界との接点”を独力で見つけた。世界と交わる点を見つけた。
ニアはいったい何を世界との接点とするだろう。わからない今、彼に与えられることはそれほど多くない。
「……ワイミー」
Lが私の名をつぶやく。
くちびるに人差し指を寄せて、指の腹を前歯でかるく噛んだ。
「メロが心配ですか?」
杞憂を先読みして問いかけると、真っ黒な双眸が私を見あげた。
「メロの心が壊れてしまわないかと」
「たしかにそれもある。メロのことだ。受け入れられずにハウスを飛び出してしまうかもしれない。そして同じくらい気に掛かるのは、ニアだ」
「ニアが?」
「そう。メロがいなければニアはひとりになってしまう。あれはまだ孤独になるには早すぎる」
「……孤独?」
思いがけないLのことばを口のなかでそっとつぶやいた。
じっと見つめてくる闇色の目。
底知れないからっぽの洞窟のような目の色に、ふと自嘲じみ笑みが浮かぶ。
まるで同情するような表情だと思った。
その瞬間、はっとした。
胸を撃たれたような気持ちでLを見つめる。
Lとニアは本当によく似ている。そう思ったのは数分前の自分自身。
Lも、おなじように感じているのかもしれない。
だからわかってしまう。
世界の切っ先に立つ。
それは恐らく孤独なことだ。L自身はゆるぎない孤独さをも撥ね退ける力がある。しかしメロやニアのような子供らはどうであろう。
たとえ憎み合い、いがみ合おうとも、ともにひとつの“L”という名の果実を求めて互いを意識しつづけるかぎり、メロもニアもひとりにはならない。
ふたりでいれば孤独ではない。
「メロとニアを切り離すことはまだ先でいい」
「L。しかし」
それでは現状は何も変わらない。
溶けていくアイスを静かに眺めているようなものだ。
「私はまだ引退しないから、安心しろ」
冷めはじめた紅茶のカップにくちをつけ、まるではぐらかすようにLが呟く。
子供たちが成長するまでは、自分が頑張るといいたいのだろう。
「あのふたりがひとりで立つまでは、死ぬつもりはない」
眉間に皺を寄せて、私は苦い顔をした。
あまりにも無神経に言わないでほしいものだ。
「安易に死を口にしないでほしい」
「……すまない」
肩をすくめて上目づかいに私を見あげてくる。
二十歳をいくつかこえたというのに、ときどきまるでメロやニアと同じ年頃の子供の変わらない表情を見せる。
ため息をついた。
小さく首をたてに振る。
「わかった。今の話は、また別の機会に、告げることにしよう」
「ワイミー」
嬉しそうな、安堵したような声。表情の変化はあまりないが、朗らかな響きを含んだ声に、私は少しほっとした。
これだから私はLに甘くなってしまうのだ。
困ったことだ。
でも仕方ないと思う。
Lも大切な私の家(ハウス)の子供なのだから。そして、これはけして口にしたことのない、
これからも口にしないであろう事実であるが、Lは私が作ったハウスの中でとりわけもっとも大切な子供のひとりなのだ。
だれよりも甘やかしたくなってしまう一人なのだ。
私は青年のあたまに掌を乗せた。
おどろいたLが目をぱちぱちと瞬かせた。闇夜を歩むネコのように目がまんまるになる。
「ワイミー、なにが」
「L、あなたにも不得手な分野があるようだ」
「不得意? そんなものはない」
「気付いていないなんてLらしくないことだ。それは人を切り捨てることだ。たとえ足枷となり重荷になろうとも、あなたは全てを守ろうとしてしまう」
「……」
結論を出さないまま、時間のかぎり守り続けようとしてしまう。
この青年は優しい。
「あなたは、大切なものほど選ぶことが難しくなる」
たとえば大好きな菓子のように。
そして甘い洋菓子ならまだしも、子供たちはいずれ苛烈な運命を背負うことになるのだから。
否定するように口をひらきかけたLの黒髪をくしゃりと撫でた。
艶やかな漆黒の髪に触れたのは幾年ぶりだろう。
Lの髪はむかしと変わらず優しい手触りだった。
「だからいつかそのときが来たら、私からふたりに話をさせてほしい」
大切なふたりの子供たちを別つときは。
「私が告げよう」
わかるね、L。
「約束だ」
告げたとき、コンコンと扉をノックする音がした。
部屋の扉を振り返ると同時に、がちゃりとノブが回転した。
「来たようだね」
顔よりも先に小さな掌がドアの隙間から覗いた。
この小さな手が、いずれ“L”を継ぐのだ。だからそのときは、私が菓子を切り分けてやらなくてはいけない。
猫背の優しい青年のかわりに。
私が菓子を。
── その約束が果たされないことを、そのときの私たちが知るわけもなく。
そうして部屋の扉が完全にひらききる直前、Lがつんつんと私の服の裾を引っ張った。
なんだ? と見下ろせば、Lは無表情に聞いてきた。
「で、彼らに告げないと決めたので、用件はなくなってしまったわけだが、彼らはすでにそこまで来てしまっている。私はいったい何を話せばいいんだろう、ワイミー」
「そこまでは責任を持てない。好きにしゃべりなさい、L」
「……」
Lは驚いたように目を丸くして、親指を口に含んで俯いた。今更のようにあわてて対面の口上を検討し始めていた。
fin
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