Mr.JACK o LANTERN!
ハロウィンは、ケルトの収穫感謝祭がキリスト教に取り込まれたものだといわれている。
この日に飾られるカボチャは、ジャック・オ・ランタンが正式名称であり、略して『ランタン』。
カボチャを刳り抜いて細工し、中に蝋燭を立てて家の前に出しておく。
悪霊やおばけを避けるために、怖いかお又は滑稽なかおが刻まれている。つまり”魔よけ”なのだ。家族のお墓をお参りし、蝋燭を灯すこともあって、さながら墓地がランタンのようになるらしい。
捜査本部の一室の入り口に、オレンジ色のカボチャが置いてあった。
日付の意識など無きに等しい生活で、月はいまさらのように今日の日付を思い出す。
10月31日だ。
(ハロウィン ── か)
刳り抜かれたカボチャのなかで、蝋燭の炎が揺れている。嗤う半月形の目に、耳まで裂けた鋭い口。
ほどこされた細工そのものは恐ろしい形相を模しているはずなのに、対象がカボチャであるせいか、なにやら滑稽さを感じるものである。
ジャック・オ・ランタンを眺め、月は苦笑いをした。
── 竜崎の仕業だな。
数年ほどイギリスに住んでいたと言っていた。
ハロウィンが欧米ほど定着していない日本では、あまり見られぬ光景だったし、極度の甘党である探偵が
カボチャを美味しくいただく絶好の機会を逃がすはずがないのだ。
ガチャリとドアを開くと、果たしてパンプキンパイを頬張るために大きく口をひろげた男と目が合った。
ソファのうえに例の座り方、素足をソファのうえにあげて膝を立てている。
「案の定と云うか何と云うか」
「………」
パイを口に運びかけた格好で、竜崎は動きを停止した。
「竜崎らしいね」
笑いながらドアを閉めた。
ジャケットをクローゼットのハンガーに掛けて、竜崎と向かい合う位置のソファに腰を下ろす。
「それ、入り口のカボチャで作ったんだろ?」
「…そうですけど」
「ワタリさんに作ってもらったんだね」
「………」
「あ、ごめん。どうぞ食べて。邪魔をして悪かった」
そう言ったのに、竜崎はしばし月の顔を凝視した後、おもむろに手にしたパイを皿に戻してしまった。
テーブルのうえには、八分割されたパイのホールと、
火口から押収したばかりのデスノートが無造作に置かれている。ノートの行く末は、パイ生地のパリパリとこぼれた破片の油分が染みて、斑模様になった挙句の、永久保存かもしれない。
そのありさまを想像し、すこし可笑しくなって口の端をゆるめながら正面に目をやると、竜崎はパンプキンパイを掴んでいた指先を口に含んで、上目遣いに睨んできた。
そこで突然おかしな質問。
「なぜ月君は、この部屋に入れたのでしょうか?」
「ん?」
カードキーの登録は抹消されていなかった。手錠が外れても、以前と同じように捜査をつづけたいと申し出た、
月の訪問を阻むものは何もなかったはずだ。
月は、おもわず首をかしげた。
「何故、入れたっていうのは、なぜ?」
「ランタンを置きました」
「入り口の? 見たよ?」
「ランタンには悪霊払いの効果があります」
「…知ってるけど」
「月君は、何故ここに入ることができましたか?」
「……」
「折角のチャンスだったのに」
竜崎は心底残念そうな声音で呟き、ノートにちらりと目を走らせる。何を企んでいたのかはわからないが、こいつは本当に油断も隙もない。ああしかしそれよりも…── 。
(なんて下らない嫌がらせだ…)
思ったものの、ことばにするのも億劫な気分となり、月は大仰なため息をついた。
がっくりと項垂れて見せた後に、正面の男を睨みつける。
竜崎は、ぬけぬけと指先をしゃぶりながら、とぼけた顔をするばかりだった。
ハロウィンのお化けカボチャの効用は、死の国から戻ってきた悪い霊たちを追い払うこと。
”魔よけ”だ。
つまり竜崎は、月を魔物に見立て、部屋に入ってこないようにランタンを入り口に置いた。
そういうことらしいのだが、しかしそれはあんまりにもひどい話ではないか。
ソファのうえで優雅に足を組み、太ももに手をのせる。
「僕は悪霊扱い?」
「ええまあ」
「竜ー崎っ」
「冗談です。冗談に決まってます。怒らないでください」
「ひとを何だと思ってる」
「キラ」
「…キラは化け物じゃない」
「死神のノートを使います」
「悪霊でもない」
「ひとの命を奪います」
「人間だろ」
「それはキラとしての発言でしょうか?」
「僕はキラじゃない」
「はい」
「それじゃあキラが悪霊だと仮定しよう」
「はい」
「でも僕はおまえの顔を見ても、ちっとも恐ろしいと思わない。だから僕はキラじゃないよ」
「………はい?」
禅問答のような珍妙な会話に、今度は竜崎が悩まされる番だった。
語尾をあげて問い返し、明晰な頭脳が一秒以下で出した推測におもわず沈黙してしまう。微かに眉をしかめる。
手錠生活を経て、微細な感情の揺れも察することができるようになった月は、
彼の鋭敏すぎるほど鋭敏な思考回路に感心するよりも、
不機嫌そうな反応を示した表情に思わず笑い出しそうになった。
つまり月が悪霊(キラ)だとすれば、冥府より彷徨い出てきた悪しき者を追い払う竜崎は ── ?
「……それは、私がランタンのように滑稽な顔をしているということですか?」
憮然とした口調の見解は、飛躍しすぎだった。
さすがに月は吹き出した。
「あははっ。そこまでは言っていない!」
「…そこまで、でなければ、どこまでですか」
竜崎はますますと眉を顰めた。
「私は、カボチャっぽい顔をしてますか?」
「まさか」
「中身は空っぽじゃないですよ」
「ははっ。おまえは世界最高の探偵だよ。それは一緒に捜査した僕が誰より知っている」
「ただの人間です」
「そうだ、人間だな。その目の下の隈は、すこし怖いかもしれないけど」
「これくらい、よくあるでしょう」
「隈はね。よくある顔でもないよ」
「…私は、月君ほど格好良くありませんからね」
「そういう意味じゃない」
「どういう意味ですか」
「個性的だね」
「滑稽ですか」
「違うって言ってるだろ?」
「…口ではなく態度がそう言ってるように見えます」
「竜崎は、多分じぶんが思ってる以上に、人を惹きつける顔をしてる」
「光栄ですね」
白々しく言い捨てて、ふてくされた様子で先ほどのパイを手にする。
パラパラと焦げた生地をこぼしながら喰らいつきむさぼり食い、またたく間に小さな頬袋をいっぱいにするさまは、
完全に機嫌を損ねてしまったせいだろう。
「怒るなよ、竜崎」
甘い声で囁いて、月は組んでいた足を戻した。
「そんな顔するなって」
「………」
「ああ、ほら頬に食べかすが」
苦笑しながら、ふたりの間に横たわるテーブルに手をつき、
身を乗り出し、竜崎の頬に付いたパイ生地の破片をつまみとる。
もぐもぐと咀嚼しながら、黒い瞳はじっと月を見つめてくる。見つめ返しながら、月は指先のかけらを口に含んだ。
油の味しかしない生地を舌先にはり付けて舐り、数度乾いた感触を口内で確かめてから、そっと竜崎の頬に手を当ててくちびるを寄せた。
目なんか閉じやしない。無作法ものの竜崎は、キスの最中も咀嚼を止めない。
だから月は舌をさしこむこともできず、うっすらと唇の表面を撫でて吸いあげるだけの、可愛らしいキスをした。
「………」
くちびるを離して顔を覗き込んでも、竜崎は相変わらずなにも感情を映し出さない黒い目をしている。
けれど月が膨らんだ頬を指先で撫でてやると、すこしだけ困ったような色を浮かべた。
口に物を含んだままもごもごとなにかを言いかけて、うまく喋れないことを知り、ティーカップに指を伸ばす。
口のなかの物を紅茶と一緒に流し込む。紅茶の味など知ったことではないと云うような飲み方に、
高級品が勿体無いという内心の感想を、月はことばにもできなかった。だから代わりに、先ほど伝えそこねた禅問答の回答を告げた。
「竜崎は『魔よけ』のような存在だね」
「………」
「大概の犯罪者は、Lの名を聞いただけで竦みあがるだろう」
「だからキスしたんですか?」
カップをソーサに戻して竜崎が訊ねる。月は口の端を緩めてほほえむ。
「ことばよりも事実や行動を取るタイプだから。竜崎は」
「…その通りですが」
「証明をするよ」
「何を…」
と、問い返しかけた顎を掴んでくちびるを塞いだ。
キスをしながらテーブルが邪魔だと思った。食べ残りのパンプキンパイもノートも邪魔だ。
すこし位置が遠い。もっと近付きたい。中に入りたい。
この男のなかは光に満ちている。彼自身が信じる、灯火が輝いている。法律や道徳に雁字搦めにとらわれた、
人間たちは気付かない。見掛けだけで判断する愚者は気付かない。月は気付いている。
もっと中まで入りたくなる。
パンプキンパイと紅茶が残る、
豊潤な香りの口内を思う存分味わい尽くして、離す。
「僕はこの世の人々に災いなどもたらしはしない。僕は悪霊じゃない。だから『魔よけ』を恐れたりはしない」
「………」
「竜崎」
最後に付け足した声は音にしなかったが、湿気を伴い皮膚に当たり、たしかに竜崎に届いていた。
竜崎は、間近で秀麗なくちびるの動きを見つめ、困惑の表情を浮かべたあとに、小さくため息をついた。
「……まあ、いいでしょう。今日はハロウィンです。細かいことには目を瞑ります。わかりました月君」
と、人指し指でじぶんの唇をなぞり、ニヤリと不敵な顔でわらった。
「最後の言葉、隣室で証明していただいてもいいですか?」
「ははっ」
「負けませんよ?」
「おまえはそれしか信じないから」
と、わざと言いながら、月は漸くテーブルから下りて立ち上がった。
先に寝室へと入ろうとして途中で振り返り、早くおいでと手招きをした。
「おいでよ。カボチャ君」
とたんに竜崎はなんとも云えないほど不細工で滑稽で可愛らしい表情をして、顔を顰めた。
「……やはり本音はそこか」
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