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Seems the same, but その日、松田が出勤すると、彼の愛しい人は相変わらず小さく丸まった姿勢で甘味を貪っていた。 白く細い指が、危なっかしくも優美に見える手つきで握っている透明なガラスの器には、濃い色をしたゼリー。プルプルとした質感と、瑞々しい輝きを放つ濃紫をした半固形の物体を、竜崎はせっせとスプーンで掬っては口に運んでいる。なんだか小動物みたいで、松田は小さく微笑んだ。 「竜崎、イチゴ味じゃないなんて珍しいですね」 「はい、ブドウのゼリーです。美味しいです」 一見無表情ながらも、満足そうに僅かに目元を緩める竜崎に松田はドキリとした。彼の笑顔はいつだって、松田を幸福の高みへと追いやるのだ。 「良かったですね。今度、僕もブドウ味の美味しいケーキを買って来ますね。家の近所にちょっと有名なケーキを売っている店があるんです。店自体は地味なんですけど、そこのブドウケーキは看板商品なんです」 「本当ですか」 キラキラと目を輝かせて自分を見上げる竜崎は、さながら小さな子供だ。そんな無邪気な様子を見せられると、ついからかってみたくなる。 「はい、良い子にしてたら買って来てあげます」 「…松田さんは、私を子供だと思っているんですか」 案の定、竜崎は不穏な空気を纏ってスプーンを動かす手を止め、ジロリと松田を見上げた。 「はは、冗談ですよ」 「そういう冗談は、私好みません」 再びゼリーに視線を落とし、せっせと食べ続ける竜崎を見つめながら、松田は少し―ほんの少しだけ― 寂寞とした気分を味わった。 ワタリを除いて他の誰とも慣れ合うことなど無さそうな、況や恋愛感情など人生に於いて欠片も必要としなさそうなこの想い人を手に入れたのは、二か月ほど前。 日に日に彼への想いが募り、とうとう免職覚悟で告白した時は、心臓が早鐘のように打っていて、自分の体が自分のものではないような気がしたものだ。 突然告げられた松田の決死の告白に驚いていた様子の竜崎だったが(そりゃそうだろう)、松田が熱く―暑苦しく― 胸の内を伝えると、珍しく戸惑ったように目を伏せ…その、恥じらうようなどこか儚げな表情と、ゆっくりと瞬く長い睫毛に完全にほだされてしまった松田は、その愛しい人をそっと ― 抱き締めてみた。 『―――!!』 ――― 蹴られるか、罵られるか、ワタリを呼ばれるか…。モヤモヤと渦巻く松田の内心とは裏腹に、やがて、彼はおずおずとその細い腕を伸ばし―――、 松田の背中にそっと回してきたのだった。 それからの松田は、幸福の真っ只中にいる。愛しくて堪らないこの不思議で可愛い人に触れたり、キスを交わしたり、ましてや抱くことができるなんて。事実は小説より奇なり―というのはちょっと違うかもしれないが、国語が苦手な松田は、そんな風に思っている。 しかし、幸福の只中にいながらも、松田は若干の寂しさを感じていた。竜崎は、期待したほどには松田に甘えてくれない。勿論、竜崎は男だし、彼の立場と性格を鑑みれば、それも無理からぬこと― そう思い込もうとしても、松田は竜崎にもっと甘えて欲しかった。自分なら、酷使されたその心身を全て包み込んでやれる― そう自負している松田にとって、竜崎のスタンスは少し寂しいのだ。 「やっぱり僕って頼りないのかな。多分、竜崎より年上だと思うんだけど…」 そんな考えが脳裏を過ぎっては小さく溜息をつく。それが目下の松田の癖となっていた。 翌日。いつも通りモニターに齧りついている竜崎を少し寂しい気持ちで眺めながら、松田は自分なりに仕事をこなしていた。 視線の先の想い人は、昨夜から最低限の用事をこなす時以外はひたすらモニターに貼り付いていて、丸一日抱き締めることもキスをすることすら叶っていないのだ。濃くなった隈や薄い肩が痛々しくて、松田はせめて、と彼の甘味を調達する為にキッチンに入った。 「あれ?昨日のブドウゼリー、まだこんなに沢山あるんだ。ワタリさん、随分張り切ったんだなぁ。ま、あの竜崎のことだから、気に入ったらいくつ食べるか分からないしね」 ブツブツと呟きながら、冷蔵庫内に大量にストックされていた昨日と同じ濃い色のゼリーを器に入れ、モニターの前で膝を抱えている竜崎の元に向かう。 「竜崎。少し休憩したらどうですか」 「…ありがとうございます」 ゼリーを差し出された想い人は、器は受け取るものの、結局モニターから目を離そうとはしない。松田は仕方なく自分の持ち場に戻った。 「…松田さん」 「はい、何ですか?」 「このゼリー…昨日と同じものですか?なんか味が昨日と違います」 竜崎が不機嫌そうな顔でこちらを見ている。 「同じですよ?竜崎、やっぱり疲れてるんじゃないですか?少し休みましょうよ。ね?」 「その必要はありません。それよりこのゼリー、甘くデコレートして来てください」 聞き分けの悪い恋人に差し出された器を渋々受け取ってキッチンに戻ると、松田は再び冷蔵庫を開けた。ここにはいつも、激甘のホイップクリームや一口サイズに小さく切り分けられたフルーツ類が常備されているのだ。 松田は、それらを大量に投入してゼリーをデコレートすると、相変わらずモニターの前に齧りついている竜崎の元に戻った。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」 一口掬って 「甘いです」 と満足そうな吐息をつく。そりゃそうだろう。あれで甘さを感じなかったら、それこそ味覚障害だとしか思えない。 松田は小さく溜息をつくと、所用を済ませる為に部屋を出た。室内に一人残される竜崎の為に、紅茶を淹れてやるのは忘れずに。 なんとかして竜崎を休ませる事は出来ないだろうか。そんなことを考えながら所用を済ませ、部屋に戻ると、竜崎がソファでぐったりと蹲っていた。 「りゅ、竜崎!」 慌てて駆け寄ると、竜崎はゆっくりと顔を上げる。しかし、その動きはひどく緩慢だ。 「大丈夫です。…ただ、なんだか…だるくて…」 慌てて額に手を当てた松田だったが、特に熱があるようには感じられない。ただ、いつもより体が少し温かいような気もする。視線もどこか虚ろだ。 「もう、無理ばっかりするからですよ。ほら、部屋に行きましょう」 すっかり腕に馴染んだ軽さを抱き上げようとすると、竜崎は子供っぽく首を振ってその手を拒んだ。 「イヤです…」 「でも、少し寝ないと」 「いやです…まつださん、わたしをへやにつれこんで何するつもりですか…」 「何って…寝てもらおうと」 戸惑う松田の袖をぎゅっと握りながら、竜崎がニヤリと笑った。 「きのうできなかったから、いやらしいことするつもりでしょう」 「し…しませんよ!そんなこと!」 「いいえ、まつださんはそのつもりです」 虚ろさを増した瞳で、竜崎がくたりと体をもたせかけて来る。そのまま、子供が母親に縋るように松田の腕をギュっと握ると、胸板に頬を擦り寄せ、腕に額を押し付けた。 「わたしは、そういうきぶんじゃありませんよぉ」 「だから、そんなことしませんってば!とりあえず、辛いなら少しでも寝て…」 「じゃあ、ちゃんとベッドにはいったら、だきしめてくれますか?ねむるまでそばにいてくれますか…?」 松田は混乱していた。一体、竜崎に何が起こっているのか。もしかして、退行現、象、と、か…。どうしよう、僕は精神医学なんて勉強したことは無い! 「まつださん…ねむい…」 胸元をそっと撫でながら呟かれ、慌てて見下ろすと、大きな瞳は今にも閉じようとしていた。呼吸はほとんど寝息のリズムに変わっている。 「ねむ、い…」 小さく呟きながらほどんど睡眠状態に堕ちようとしている細い体を抱き締めながら、松田は理性を保つのに必死だった。 か…可愛い…!!竜崎が、あの竜崎が、僕に甘えてる…!! 竜崎とて、今まで全く甘えてくれたことが無いわけではなかったが、それでもどこかに理性が残っているのか、それはこのように無防備な甘え方では無かった。むしろ、どこか拗ねているような不器用な甘え方で、松田にしてみればそれはそれで愛しくて堪らないのだが、それでも彼の秘かな願望としては、こんな風に子猫さながらに甘えて欲しかったのだ。 「ねむいです…」 「そうだね、じゃ、一緒に部屋で仮眠を取ろうか」 そっと竜崎の体を抱き上げると、彼は小さく唸り声を上げて、首にしがみ付いてきた。幼子のような仕草に、甘美に胸が締め付けられる。その白い頬にキスをすると、松田は寝室に向かって歩き始めた。 すでに寝息を立てている竜崎をベッドに寝かせると、松田は自分も隣に横たわった。 「…ん、まつだ、さん…?」 「どうした?ゆっくり寝ていいよ」 「はい…」 「……」 「…まつださん…」 「何?」 「キス、してくれますか…?」 嗚呼!松田の理性は崩壊寸前だった。しかし、彼の悪く言えば頼りないといえる面は、裏を返せば彼の優しい気質でもある。松田は持てる理性の全てを掻き集めて自分の欲望を抑え込み、優しく微笑むと、胸元に埋められた小さな顔を持ち上げて、薄い唇にキスを落とした。 「おでこ…」 「おでこもして欲しいの?」 「はい…」 松田は再び優しく微笑むと、鼻先にある柔らかな前髪を掻き上げ、白く形の良い額に望むことをしてやる。半分眠っているらしい竜崎は、唇の端を少し引き上げて嬉しそうな表情をすると、そのまま一気に眠りに堕ちて行った。 松田はその温もりを感じながら、いつ誰が帰って来ても良いように、睡眠と覚醒の狭間を心地よく漂っていた。 一時間後。 誰かが帰って来た気配に、松田は名残惜しい気持ちで腕の中で深く眠っている痩躯を手放し、その頬にキスをしてから本部に向かった。 「ワタリさん、お帰りなさい」 「はい、只今戻りました。竜崎はどちらでしょうか?」 「あ、今、仮眠を取っていて…」 「そうですか。松田さんもご一緒に?」 「…い、いえ、まぁ、はい…」 明らかに寝起きの顔だったから、松田は誤魔化すのを諦めて正直に答えた。竜崎が誰かを愛するという感情を知ったことを誰よりも喜んでいる目の前の好々爺は、特にコメントを差し挟むこともなく、 「そうですか」 とだけ告げると、松田に笑顔を向けた。 「ところで、松田さん。冷蔵庫に赤ワインのゼリーを作り置きしてありますので、宜しかったら皆さんでどうぞ。竜崎には、別にプリンを用意してありますので」 「ワイ、ンゼリー?」 「?はい。竜崎が昨日のブドウゼリーと間違えて口にすると困りますので、早めにお召し上がりいただく方が良いかもしれませんね。彼はアルコールに非常に弱いので」 「…は…ははは…」 松田はガックリと肩を落とした。 あの無邪気な甘え方は、どうやら酒のせいだったようだ。きっとこれから先の竜崎はアルコールを警戒するだろうし、もうあんな風に甘えてくれないだろうな…。 そうだ。約束したブドウケーキには、ラム酒などは使われていないだろうか。確認してから買わなくては。 しかし、松田の落胆は、すぐに打ち砕かれることになる。 竜崎は、その日から少しだけ、 甘え上手になった。 fin