- perfume -


 ここは南国のリゾート地、家族そろって数年振りの旅行は僕の卒業旅行も兼ねて、4日間滞在の行程を組んでいた。
 その中の一日を僕は竜崎とのんびりと過ごす予定だった。
 キラ捜査の解決後、文字通り世界を飛び回る忙しさのLがこの一日を捻出するのは、 いかに大変なことか、あえて聞くまでもなく想像はつく。
 現に明日彼はワシントンに出向かなければならない。
 L専用機は、奇しくもボーイングVC-25A型 テールナンバー28000、 解りやすく言えば合衆国大統領専用機エアフォースワンと同じ機体だ。
 コールサイン、エギュゼクティブLima(Limaは航空系のフォネティックコードでLを意味する)。
 ホワイトハウス・スタッフが必要と判断した場合のみ、大統領または副大統領の家族が使用する、 エギュゼクティブのコールサインを与えられた自体、これからに控えた捜査がいかに重要で困難なものかも推察できる。 しかし、それとこれとは話は別だ。 いくらこの男が世界の影のトップと称される男でも、世の中には許されることと許されないことがある。




 南国の青い空の下のオープンカフェ、まだ午前も早い時間だというのに降り注ぐ陽射しは強い。僕らはアイボリーのパラソルの日陰で再会を果たした。
 久しぶりに会った彼は、相変わらず髪はぼさぼさ、ヴィンテージデニムに白いTシャツ、踵を潰したスニーカー、椅子に膝を立てて座る姿もそのまま。ここまで自分のスタイルを頑なに貫き通す姿勢はいっそ感心に値する。
 最初の三分ほどは再会の喜びに胸が踊った、が、…三分過ぎる頃にはそれが激しい憤りにとって変わっていた。
「月くん、どうしたんです…」
「別に…何でもない」
 僕の豹変ぶりに大きな目を丸く見開く竜崎、彼の前にはたっぷりのミルクと砂糖を放り込まれたせいで、カップの表面張力ぎりぎりに納まったコーヒー。
 そして円形の白いテーブルに頬杖をつき、そっぽを向いたまま冷たく言葉を切る僕のは、もちろんブラックだ。
「何かあなたを怒らせることをしましたか?この日を楽しみにしていたんですよ、月くんとこうして過ごせるのは滅多にないことですし、何か私に非があるな…」
 怒りで頭の中が白くなった。それ以上言わせまいと、バンッとテーブルを掌で叩く。スプーンが跳ね、辛うじて均衡を保っていた竜崎のコーヒーが波打ってソーサーに溢れた。
 僕らのテーブルのすぐそばで、クッキーくずを啄んでいた小鳥が、驚いて飛び発ち近くの椰子の樹上でこちらを伺い見ている。
「…何でもないって言ってるだろっ!!」
 思わず出そうになった拳を引いて膝の上で握り絞める。ああ、イライラする。僕の剣幕に驚いたのか、竜崎は唇に指をそえてカリッと爪を噛む。なんとかしろよ、この匂い。だいたい、いくらメンズといえど、どう考えてもおまえから香水の匂いなんてするわけない。 なら考えられることは一つ、何処かの男と匂いが移るまで抱き合ったってことだろう?これが落ち着いていられるか。
「冷静な月くんらしくないです。ここではなんです、部屋でゆっくり話しましょうか」
 他のテーブルの客がちらちらとこちらを気にしている。どうやら僕らは注目を浴びてしまったようだ。
 わかってるさ、こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎて行く。僕だって貴重な時間を台無しにしたくはない。でも、おまえは他の男と濃密な時間を過ごし、何食わぬ顔でこうして僕のもとにやって来た。ここは徹底的に話合う必要がありそうだ。



 僕らは、オープンカフェを後にして、口も聞かずにホテルの部屋へと向かった。
 彼が用意していたのはこのホテルで一番のプレジデンシャル・スイート。窓から見える澄んだ青い海を臨む美景も、 広いリビングも、天蓋つきのキングサイズのベッドも、今の僕にはどうでもいい。僕は室内に入るなり、白いシャツの襟首を一纏めに握り竜崎の身体をドアにドンと押し付けた。
「痛ッ!何っするんですか…」
 大きく振られた黒い髪がその下に表情の半分を隠す。僕は竜崎の髪に、首筋に鼻先を近づける。清潔なシャンプーの香りに仄かな甘いバニラの芳香が溶けあって、思わずくらりと目眩がした。だが、次の瞬間、シャツから漂うあの匂いが僕の激昂を呼び醒ました。
「脱げよ…これっ!」
「…らいと…く…っ!なん…で、説明してくださいッ…」
 襟ぐりを放し裾に手を掛けて一気に上に引き上げると、シャツは思いのほかすんなり白い痩身から抜けた。あらわになった上身は無垢なほど、光に透けるように白く滑らかだ。
「何だよ、…この匂い。おまえが香水なんか着けるわけないだろ!!何処のどいつと抱き合ってきたんだ、僕は一人で我慢してきたっていうのに…!」
 鼻先にシャツを突き着けてやると、竜崎はクンと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。その表情から動揺を見い出そうと努めるが、薄い唇は固く結ばれたままだ。そして剥き出しの薄い胸を隠すように腕を組む。
「ええ、匂いますねぇ…でも、それは誤解です。月くんと逢う前に車内で紅茶を溢して、シャツを汚してしまったんです。いくらなんでも、染みのついたシャツで月くんと逢うのは気が引けました。で、ショッピングモールのショップで購入したのがこのシャツです。このブランドは店頭に商品を陳列する際に、イメージの香水を染み込ませるんですよ」
「……本当か?」
「本当です。そんなに疑われるんでしたら、ワタリに聞いてくだされば判ります」
 ふっつりと緊張の糸が切れた僕は、うなずく代わりに肩を落とし竜崎の胸元に額を押し宛てる。ここは素直に謝るべきかと目を上げると、竜崎の唇の端が吊り上がるのが見えた。
「……」
 プッと愉快そうに吹き出す竜崎を見て僕は悟った。謀られた。全部こいつの想定の内だったんだ。クソ、まんまとしてやられた。
「竜崎っ、おまえ…まさか…」
「早く脱がせてくださいと単刀直入にお願いするより、この方が刺激的だったでしょう?」
 がっくりと落ちた肩に細い両腕を預け、竜崎は屈託のない笑みで僕の顔を覗き込んでくる。悪態のひとつもついてやりたくなったが、非はこちらにもあることを考えるとため息を漏らすのがやっと。
「でも誤解したのはあなたですよ。…すみません、月くんが予想外に激しく怒ってくださったので、私、いつもより少しだけ多く鳴いてしまうかもしれません」
 そういって艶やかに笑む顔を見て、室温が跳ね上がったような錯覚に陥る。まったく大した才能だよ、そんな顔で防御線をはられたら憎めない。見るものすべてを見透かすような闇色の瞳は南国の空気のせいか、どことなく陽気で奔放な明るさを秘めている。実際に上昇したのは、室温じゃなく僕の脈拍と体温だった。
本当に、小癪なおまえはどこまで僕を振り回せば気が済むんだ。
 カーテンが揺らいで、吹き込む潮風がふわりと竜崎の髪を撫でた。
 ああ、またこいつの思う壺にはまってしまった。
 喉に詰まった感情をぐっとこらえ軽い咳払いで吐き出すと、僕は痩せた身体を抱き寄せ、とりあえず憎らしい口を唇で塞いでみた。


-END-


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