- 其の一角にある楽園に -   ※【注意】:竜崎の本名バレ含
 
 
 僕が生まれた町は静かで小さな街だ
 十七年間、暮らしてきた此の町を僕は嫌いでもなければ好きでもない

 高校の帰り道、寂れた商店街を通る
 殆どの店はシャッターが下りて『テナント募集』の張り紙が貼っており、何とも活気がない
 (あれ)
 ふと目に止まった並ぶ店の一角に他とはあきらかに雰囲気の違う店があった
(こんな店あったっけ?)
 小学生の頃から此の道を通って学校へ行っていたけど今の今まで微塵も気づかなかった
 其処は静寂を決め込み息を潜めるようにして建っている
 店の前まで来て看板を見上げると埃と錆で色褪せた其れはもうただの板切れでしかなかった
 硝子にサッシを嵌め込んだ格子の引き戸から中を覗いても薄暗くて目を凝らしても何も見えず、営業中なのか其れ以前に人がいるのかも怪しいものだった
 
 何故かひどく惹きつけられた

 無意識に引き戸のくぼみに手をかけた。ぐっと力を込めて横に引いても建てつけが悪いのかなかなか開かない
 二、三度目にして漸く引き戸は其の口を開いた
 引き戸を睨みつけ店内に足を踏み入れる
 思ったより店内が狭く感じるのは部屋の壁から天井ぎりぎりまである本棚が三面の壁を覆いつくしているせいだろう
 本棚には隙間なく様々な本が敷き詰められ通路には棚に入りきらなかった本が僕の腰あたりにまで積み上げられている
 細身の僕はかろうじて通れるが学生カバンに引っかかって仕舞い二冊ほど本を落としそうになった
(古本屋…?)
 積み上げられている本に気を配り乍ら本棚を見上げる
 見たことないような様々なジャンルの本に僕の心は躍った。街にある小さな図書館の本にはもう飽き飽きしていたところだったから
 奥まで進むと人の気配を感じた。本棚から頭を半分出して伺う
 当初、本で顔が見えず襟足まで伸びた長い髪とティシャツから覗く細い腕に女だと思ったが違った
 肩幅の広さや女特有の滑らかな曲線ではなく骨ばった肢体に彼が男であることがわかった
 とても奇妙な男だ
 細部にまで装飾が施されたアンティーク調な椅子が此処にあることが場違いだと感じたが其れ以上におかしいのが其の椅子に座る男は地に足を下ろさず椅子の上に足を折りたたんで体育座りのような座り方をしている
 本を広げ其の左右の端を親指と人差し指で摘むような形で本を読んでいた
 (如何やってページをめくるんだろう。肩、凝らないのか)
 積み重ねられた本のタワーに囲まれている珍妙な男を見つめていた
 ふいに視線が絡む
 本をずらして双眸だけを覗かせて此方を見ている
 大きな目の瞳は何色にも染められない漆黒だった
 目の下には深い隈が刻まれている
 薄暗い部屋に彼の白い肌が青白く浮かび上がっていて、病的で不気味で其れで何処か儚げな印象を受けた
 僕を見ていた彼は僕とゆう存在を確認するとまた視線を本へとうつした
 男は其のあと一度も僕を見ることなく彼の意識は本にだけ注がれていた
 不思議と息苦しさはなく其れどころか居心地の良さを感じていた
 母から帰りが遅い僕を心配したメールが入ってくるまで僕の頭からは時間とゆうものが抜け去っていた
 時刻は十九時過ぎ。其の日は惜しみ乍らも本屋を後にした

 其れから半月が経った
 朝目が覚めて学校へ行き授業が終われば家に帰って勉強して家族と団欒する平穏で退屈な今までの僕の生活が少し変わった
 学校帰りに夕飯頃まであの本屋で過ごすようになったのだ
 相変わらず店主であろう男との間に一切会話はない。目も合わない
 本を購入するでもなくただ日が暮れるまで読書に没頭する僕を彼は咎める様子もなく互いに読みたい本の世界を満喫していた
 此の店には定休日はないらしい。平日でも休日でも祝日でも通常通り営業している
 何時に開いて何時に閉まるのかもわからない。若しかしたらはなから営業なんてしていないのかもしれない
 
 本日も晴天なり。僕は本屋へと足しげく通う
 昨日読んだ本の続きが気になって自然と歩調が速くなってゆく
 建てつけの悪い引き戸を開けるコツも掴んだ
 店内に入ると本独特の匂いが鼻腔を掠め、其れを肺いっぱいに吸い込む
 薄暗い此処はまるで別世界。アリスがうさぎを追いかけて落っこちた穴のように何処を見ても本ばかりで其の光景を見るだけで心が満たされる
 積み重ねられた本に慎重に腰を下ろし昨日の続きを読むため本をパラパラとめくる
 しおりなんて挟まなくても何処まで読んだかぐらいはわかる
 小一時間経過した頃、僕は本の世界へと意識を沈めていた
 静かな店内は時を刻む時計の音のみ
 俯いて頚が痛くなったことなんて気にならない。本を読みだしたときの姿勢から僕は微動だにしていなかった
「其の本が好きですか」
 ふいに頭上から声が降って下りてきた
 いきなり意識を逸らされ数回瞬きしたあと、声がする方へ頚を動かした
「好きですか」
 声の主がもう一度僕に尋ねた。ピントを合わせ徐々に明確になってゆく輪郭にあの男であることがわかった
「え、あ、…はい……」
 本と男を一瞥してから慌てて返事を返した
 僕の返事を聞くと「私も好きです」と言った。親指を咥え乍ら男の唇の端がつりあがる
「そんなところでは腰が痛くなってしまうでしょう。一緒にお茶など如何ですか」
 そう言うと男はくるりと僕に猫背を向ける
「…いいんですか」
「ええ、どうぞ」
 肩越しに男が僕を見た。其の射るような瞳に何故かどきりとした


 彼がいつも座っている椅子の後ろの壁には真紅の垂れ幕のようなものが下がっている。当初其れは何なのかわからなかったがぺらりと其れをめくると彼が生活しているんであろう部屋が見えた
「靴は此処で脱いで下さい。狭いですけど、寛いで下さいね」
 男は其れだけ言うと僕に座布団の上に座るよう促し台所へ向かった
(何処が狭いの…)
 畳10畳の広い部屋には長方形のテーブルと座布団ぐらいしかなく到底人間が生活しているとは思えないほどの生活感の無さを感じた
「砂糖はいくついれますか」
「じゃあ、ふたつ」
 指を二本立てると男は「ふたつだけでいいんですか」と不思議そうな顔をした
 彼に名を尋ねると「竜崎と呼んで下さい」と言って僕に紅茶を差し出した
「僕は夜神月です」
「では、夜神さん」
「月でいいです」
「では月くん。言葉も足もいつも通りで構いませんよ。私は癖なので」
 そう言われて足を崩した。竜崎は相変わらず不思議な座り方をしている
 僕は竜崎の名前や声、普段の生活、趣味、嗜好。そう言ったものは何なのか常々考えていたので別段会話には困らなかった
 彼は此の店を亡くなった祖父から譲り受けたそうだ
 祖父は有名な発明家で莫大な財産を残してくれたお陰で生活にも困らず今まで悠々自適に暮らしてきたらしい
 此の店も祖父の趣味で経営していたらしく竜崎は此処を書斎の変わりにしていて客が来なくてもたいして気にはならないようだった
「月くんは本が好きですか」
「うん。此の街はとても退屈で。唯一の愉しみを与えてくれる」
「そうですか」
 竜崎は紅茶と一緒にもってきたクッキーを頬張り乍ら頷いた
 彼は小さな頃から本が好きだったからなのかとても知識の深い人だった
 初めて人と交わす会話が愉しいと思えた。相手にわかるよう言葉を選ぶ必要もない
 竜崎といる時間がとても幸福に感じられた

「また来てもいいですか」
 帰る際、竜崎に尋ねた
 すると竜崎は少し笑って「ええいつでも」と手を振った
 毎日此処へは通っていたから改めて聞く必要はなかったけれど、其の言葉には「また貴方と話がしたい」とゆう意味を込めていた。彼が其れに気づいたかはわからないけれど
(想像してたより声は低かったな)
 だけどとても綺麗で落ち着く声音だった
 青白い肌に似合わず彼の唇がさくら色で其の唇を細い指先で弄ったり、何か考え込んでいるときは親指の爪を噛む所作は彼の癖なんだと理解した
 今日突然距離の縮んだ竜崎のことを思い返して自然と頬の筋肉が緩んだ
(ああ少し此の街を好きになれるかもしれない)
 寂れた商店街。閑散とした住宅街。ゴミ箱を漁る野良猫。風に揺られキィキィと悲しい音をたてるブランコですら愛おしく思えてきた



「付き合い悪いぞ、夜神」
 そう友人に言われたが「ごめん」と苦笑いを零して今日もまた竜崎の元へと向かう
 彼と出会って二度目の冬が訪れた
「竜崎!」
「おや、月くん。如何したんですか。慌てた様子で」
 部屋へと繋がるカーテンを乱暴に引いたせいでブツと糸が切れた音がした
 竜崎はジーンズのポケットに両の手を突っ込みひょこひょこと此方へ歩いてくる。其の動作があんまりにも緩慢で待ちきれず膝をついて躯半分を畳に乗り出し彼の腕を掴んで店の入り口へと向かう
「わ、何ですか」
「見て、竜崎。雪だよ!」
 開きっぱなしの入り口からヒュウと冷たい風が入ってきて竜崎が寒そうに頚を竦ませた
「そんな格好してるからだよ」
 ティシャツ一枚にゆるゆるのブルージーンズの竜崎を見てため息をついた。自分の頚に巻いてあったマフラーを彼に巻いてやると「済みません」と唇を突き出す
「降るなーとは思ってたんだけど。此の勢いなら積もるかもね。そうしたら雪だるま作ろうか」
「子供ですか」
「子供だもん」
 外へ出て空を見上げる僕に竜崎は手を交差させて肌を擦り足踏みをし乍ら僕を睨んだ
 外気の冷たい風にあたり竜崎の頬と鼻が赤くなっている
「息しろーい。あは、竜崎トナカイみたいだ」
「貴方もですよ、月くん」
 寒そうにしている竜崎に抱きつくと彼は身を捩じらせた。彼は人目を気にしているんだろう
「こら。月くん」
「ンー。冷たいねぇ、竜崎は」
「ちょっとキスしようとしないで下さい。…フ、ほっぺは擽ったいです」
 キスをするな、とゆうからほっぺを舐めて鼻先で擽ると竜崎は堪らず僕の躯に腕を回す
「寒いです」
「じゃあ、あったかくなることしようか」
 クスクス笑って耳元で囁く。抱きついた状態のまま店内に入ると後ろ向きの竜崎は足が縺れそうになってさらに回した腕に力を込めた
「私、貴方みたいに若くないんですよ」
「竜崎。人間なんでも気の持ちようだよ」
 ティシャツを脱がされてまた竜崎は寒そうに自分で自分を抱きしめるような格好をした
「竜崎の肌は雪より白いね」
「ひゃ、ちょっと。ヒーターつけて下さい。寒いんですよ」
「すぐあったかくなるってば。逆にヒーターなんてつけたら暑いよ?汗かくよ?」
「………」
 神経質なくせにめんどくさがりな竜崎は風呂を嫌う。潔癖症な僕は情事後、かならず風呂に入るけど汗と精液でべたべたになればなるほど入浴時間が長くなることをわかっている竜崎は出来ることなら汗をかかないよう努力する
 どっちにしろ風呂は入るし、ぐちゃぐちゃにしちゃうんだけどね 
「あ、今何か変なこと考えてましたね。ン、…ちょっと、あ…話を遮らないで下さい、よ…やンっ…」
 不敵に笑う僕を見て身の危険を感じたのか後退する竜崎を押入れから引きずりだして適当に敷いた布団の上へ押し倒し手首を押さえた
「やだ…っ、あ…、もう……貴方がこんな、節操なしだなんて…あの頃を思えば、想像もつきません……あっ…」
「こっちの台詞さ。君がこんなに淫乱だなんて」
 竜崎の耳の形を舌でなぞるとギュッと彼は瞼を閉じて身を硬くした

 本当に誰が考え付いたろうか。僕らが恋人同士になるだなんて
 いや、きっと運命だったんだ。僕がこんなつまらない街に生まれたのはきっと君に出会うためだったんだよ、竜崎。なんて僕らしくないかな
 と笑うと「本当に貴方らしくないです」と竜崎は涙で濡れた目を細くして、其の拍子に涙の粒が零れた


* * *

 雨が降りそうな鉛色の雲は何だか重苦しくて気持ちまで沈んでしまう
(いつもより人通りが少ないな)
 竜崎の家へ行く途中、いつも以上に人がまばらな道を歩いていた
(あの事件のせいかな)
 一昨日。此の辺りで通り魔事件が起きた
 未だ犯人は捕まっておらず、皆警戒しているんだろう。そう言えば家をでる際、母に早めに帰ってくるように言われた気がするが其れより家で一人ぼっちの竜崎の方が心配だった
「……竜崎?」
 店の前に着くと何だかいつもと空気が違った。いつもよりいっそう静かで冷たかった
 鍵を隠している場所を知っているので其処から鍵を取り出して店からではなく裏口から入った
 玄関には出しっぱなしだった彼のスニーカーがない
(出かけてるのかな)
 滅多に外には出ない竜崎。買い物に行くにでも大概が僕に頼んでくるほどのひきこもりだ
 不審に思ったけれど彼との連絡手段はなく(今どきあいつは携帯を持っていない。電波で頭痛がするだのわけのわからないことを言っていた)其の内帰ってくるだろうと、家主のいない変わりに僕が勝手に留守番することにした

(………今何時だ……)
 いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていたようだ
 壁にかかっている時計に目をやると二十二時丁度だった
(もうこんな時間)
 あたりを見回しても竜崎の姿は見当たらない。未だ帰って来ていないようだ
(何処で油売ってんだよ)
 舌打ちし乍ら携帯を開くと自宅からの着信履歴を示していた。心配した母からだろう
『今から帰る』
 メールを打って伸びをした。頭で帰らなければいけないとわかっていても足が動かない。若しかしたら後五分待てば帰ってくるんじゃないかと思ってしまう

 ガラガラッ

 玄関(裏口)の方から引き戸がひく音を聞いて飛び上がった。竜崎が帰ってきたんだ
「竜崎」
「…月くん?」
 鍵が開いていて大体予想はついていたんだろうけど竜崎は少し驚いた顔をして僕を見た
「何してるんですか。こんな時間まで。親御さんが心配なさいますよ」
「竜崎こそ何処行ってたんだ」
 コートを脱ぎ捨てるので「だからちゃんとハンガーにかけろよ」と小声でごち乍ら其れを拾い上げ居間へ向かう竜崎の後ろについてゆく
「何があったんだ」
「事情聴取です」
「は?」
 赤くなった指先を擦り乍ら竜崎がさらりと言うので思わずカップに注いでいた紅茶を零して大火傷するところだった
「事情聴取ってなんだよ。何したんだ」
「私は何もしておりません。一昨日の通り魔事件についてちょっと話があると言われまして」
「そんなのいちいち警察署に足を運ぶ必要ないだろう。何でお前がそんなところへ行かなきゃいけない?…まさか疑われてるんじゃないだろーな」
 冗談のつもりで言ったのに竜崎は「はい」と角砂糖を摘み乍らやっぱりさらっと言ってのけた
 今度こそ僕は紅茶を零して、寸前のところでテーブルから滴る熱湯を避けることに成功し火傷をすることはなかった
「何でだよ」
「さぁ、目撃者が私を見たと言ったそうなので。厳密に言えば背丈や体格が似ているとゆうことらしいんですがね。暗くて顔まで見えなかったそーですし」
「其れでのこのこついて行ったのか」
「抵抗しても無理矢理連行されそうだったので。騒ぎ立てるとご近所の目につきますしね」
 そう言って竜崎は優雅に紅茶を啜る
「でもお前は違うんだろ」
「当たり前です」
 其の日は「親御さんが心配なさいます!」と騒ぐ竜崎を無視して彼の家に泊まった。数時間であれ、いつもいる筈の彼が此の家にいなかったことがひどく不安で寂しかった
 其の隙間を埋めるように、肌と肌を隙間なく密着させて竜崎を抱いて眠った

 一週間して犯人は捕まった。隣町に住む浪人生だった。警察に勤める父に尋ねて見ると、なるほど背丈体格は目撃者のゆう通り竜崎にそっくりだった。似て非なるものだけど!
 疑いも晴れた竜崎は此れでやっと肩の荷が下りたであろうと思いきや彼の家に訪れると微々たるもので僕だからこそわかるものだったけど竜崎は暗い表情をしていた
「如何したの。疑いも晴れたのに」
「………」
 寝転がる竜崎の肩を揺すっても彼は黙ったままだ
「竜崎」
「竜ー崎ー」
 十分ほど経って、漸く竜崎が僕を見た。緩慢に上体を起こしいつもの座り方で僕と向かい合う
「如何したんだよ」
「………月くん」
「ん?」
 機嫌が悪いか如何かなんてわからないけれど出来るだけ彼の機嫌を損ねないように愛想よい笑みを浮かべて頚を傾げた
「…私、」
「帰ろうかと思います。故郷へ」
「…は?」
 竜崎の言葉でこんな素っ頓狂な声を出したのは二回目だ。確か一回目は一週間前だった
「何故」
 少し険しくなった僕の顔を見て躊躇するように視線を畳に落とした竜崎に「目を見ろよ」と唸ると竜崎が小さくため息をついた
「此の間の事件のことですが」
「うん」
 方膝をついていた体勢を崩し胡坐をかいた。少し話が長くなりそうな気がしたから
「犯人は捕まりました。もちろん、私は無実ですから。犯人は別の人間です」
「そうだよ」
 竜崎の言葉に頷くと彼は人差し指で自分の唇をなぞって目を伏せた
「けれど、一度は私も疑われて仕舞いました。例え無実潔白であったとしてもご近所の皆さんは納得していないようです。元々、近所付き合いも浅い方でしたので、仕方のないことなのかもしれません」
 確かに竜崎の評判はすこぶる悪い。其の奇妙な見目のせいで(可愛いと思うんだけど)此の間のような事件が起きたとき、目撃情報とは関係なく近所のものが勝手に竜崎が犯人だと噂していたのを知っている
 小さな街だ。噂なんてすぐに広がる
 今でも竜崎が捕まった浪人生に罪をかぶせたんだと新たな噂が蔓延っているのだ。何とも腹立たしい
「…其れと故郷に帰るとどーゆう繋がりがあるんだよ」
 だからと言って合点がいかない。竜崎を睨むと彼は僕を見て、また視線を下に落とす
「度々、悪戯電話がかかってきます。店の引き戸の窓が割られました。すぐに修理は施しましたけど。其処から本を数十冊盗まれた上空き地で燃やされ燃えカスは川へと流されて仕舞いました」
 そう言えば硝子が一部綺麗になっていたことを思い出した

 竜崎の瞳が揺れた。そう簡単に泣く奴じゃないけどとても悲しそうな顔をしている
「私にたいする陰口なんていくらでも言って下さって構いません。しかし、ワタリ…祖父から譲り受けた此の店が傷つけられることに私は耐えられない」
 竜崎はポケットから取り出したハンカチを広げると小さな紙切れと灰がふわりと舞い上がった
「此れは?」
「燃やされて仕舞った本の跡です。此れだけしか持ってこれませんでした。…燃やされた本の中にはワタリが好きだった本も何冊か混じっていました。本の内容は全て覚えております。しかし、…もう手にとって読むことはもう出来ません。私は其れがとても悲しい」
 もう燃えてなくなった本を思い浮かべ竜崎の瞳はみるみる内に濡れてゆく。けれど、決して其れを零さない

「僕を置いていくのか」
 此の状況で、卑怯だと思った。傷心している竜崎慰めることもせず、離れたくないばかりにとても卑怯なことを僕は尋ねている
 祖父か僕か。どちらかを選べと言っているのだ
「………」
 竜崎は何も言わない。ただ黙って僕をみつめている
 其れがもう返事だとゆうことはわかっていたけれど、彼の返事を待った
「…トイレ、行ってきます」
 数分沈黙したあと、竜崎はそう言って席をたった
 部屋の隅に旅行カバンが置いてあった。其れにも気づいていた。彼は一人で此の地を旅立つことをもう決めていたのだ
「………」
 カバンを開くと数枚の服や下着が敷き詰めてあって其の上に写真たてが入っていた。写真に写る竜崎の祖父であろう其の人は優しい笑顔を向けている
 写真たての下に隠れていたパスポートが目に止まった
 其処で初めて竜崎の本名を知った。薄々偽名ではないかとは思っていたのでさほど驚かなかったが、少し胸が痛んだ
 僕はパスポートをポケットに仕舞い其の他のものを元に戻して竜崎の家を出た
 何て僕は子供なんだろう。帰り道、暗い曇り空を仰いで自分の情けなさ卑怯さに涙が零れた
 だけど耐えられない、竜崎。君のいない世界が


 * * *

 今日が出発予定日であることは竜崎があの後留守番電話に伝言したのを聞いて知っていた
(寒い)
 はぁ、と息を吐くと竜崎と雪を見たあの日のように息が白い。鼻もほっぺも赤いのかな。鏡がない今、其れを確かめる術もないし、教えてくれる人もいない
「月くん」
 低くてだけど澄んだ声で竜崎が僕を呼んだ
「本当に行くの」
「はい」
 竜崎の目には迷いがなくて僕が無理矢理引きとめようが情に訴えようが無意味なことだと理解していた。本当はパスポートを持ち帰ったあの日から
 其れでも足掻きたかった
 彼が迷ってくれることを願った
「竜崎の故郷は何処」
「紅茶がおいしいところです。冬がとても長くて寒いですけれど、いいところです」
 そう言って竜崎が笑った。日本の東北を想像したが、パスポートや彼の本名を見て外国なんだろうなと思った
「月くん。目を瞑って下さい」
「…何で」
「いいから」
 そう言ってひやりとした手で僕の目を覆うので仕方なく目を瞑った
「私がいいと言うまで開いてはいけません」と声がして掌に何か握らされた

「笑っていて下さい、月くん。貴方の笑顔が私はとても好きです」
 
 次に目を開いたときには竜崎の姿はもうなくって僕一人が佇んでいた
 僕の手には文庫本ほどのサイズの分厚い本が握られていた。著者はキルシュ・ワイミー
 パラパラとめくる。英文でいつものようにスラスラと読むことは困難だが最後のページに

 『愛しのLに捧ぐ』

 と記してあるのがわかった
 きっと、彼の祖父が竜崎のために書いた本なのだ
 寒空の下もう一度はぁ、と息を吐いた。白かった
 僕の鼻はトナカイのように赤いかな。ほっぺはリンゴのように赤いかな
 其れを教えてくれる人はいない。僕は一人其処に立っていた
 声も出さずに泣いた。家主のいなくなった彼の家の前で彼を思って泣いた
 
 エル・ローライト

 其れが彼の本当の名前。僕は其の名を呼ぶことはもうできないのだ




 竜崎がいなくなってもう半年が過ぎた
 以前の生活に戻った僕の心は前以上に空虚なものだった
 彼と出会う前よりも街が世界が色褪せて見える

 竜崎に渡された本を僕はもう何度も何度も読んだ。辞書なんて引く必要がないほど何度も何度も
 とても優しい愛に溢れた物語。彼の祖父がどれだけ竜崎を愛していたかを厭でもわかるほど、とてもとても優しい物語
 文字をなぞって竜崎の存在を辿った
 
 月に数回、竜崎の家へと足を運ぶ。鍵は変わらず鉢の下に置いたままだったのだ
 彼のいない其処に訪れることは息ができないほど苦しい。其れでも僅かに残る彼の匂いに包まれたくてまた今日も引き戸をあける
 畳の上に大の字に寝転がった。もってきていたあの本を横臥してパラパラとめくる
「其の本が好きですか」
 頭上から声がした。微睡んでいた僕は一瞬夢か現実の違いを瞬時に理解することができない
「好きですか」
 声の主がまた僕に尋ねる。半覚醒だった意識が一気に覚醒へと向かう
「竜崎…?」
「ごめんなさい。祖父の墓参りをしてから帰ってくるつもりだったんですが、親戚の子がなかなか帰してくれなくて」
 僕の顔を覗きこみ竜崎が目を細めた
「とてもいい子たちなんですよ。今度日本に来ると言っていたので紹介します。仲良くしてあげて下さい」
 いきおいよく上体を起こした僕にすぐに反応できなかった竜崎と僕のおでこがゴチンと鈍い音をたてた。目をぱちくりさせてる僕に竜崎はおでこを抑えながら「痛いです!」と僕を睨んだ
「何で帰ってきたの」
「おや帰ってきてはいけませんか」
 薄く笑う竜崎に僕は頚が千切れるほどに横に振った。何故だろう、唇が震えて声がでない
「あの一件が落ち着くのを待っていたんです。ほら、人の噂も四十七日ってゆうじゃないですか。噂も消えれば嫌がらせもなくなるでしょうし、だから此の店を傷つけられることもないと思ったんです」
「じゃあ何故、そう言ってくれなかったんだ」
 震えた声で尋ねた。竜崎は少し困った顔で笑う
「当初は本当に日本を出て故郷で暮らそうと思っていたんです。あの一件で貴方と私が親交を持っていたことに周りの人間が気づいて貴方まで危害を加えられることを危惧したんです」
「そんな…」
 竜崎の頬に手を添えた。相変わらず冷たい。僕の手に竜崎も自分の手を重ねて愛しそうに摺り寄せてきた
「けれど………やはり、私は貴方がいないと駄目なようです」
 竜崎が情けなく笑うので縋りつくように抱きしめた。「苦しい」と竜崎が小さな声で言ったのに其れでもより力を込めて抱きしめた

「月くん。其の本が好きですか。…私を好きですか」
「好きだよ。本も、…其れ以上に君を。好きだよ、エル……」
 君が愛した祖父の店も、本も君に愛されたものすべて、好きだ
 
 会いたかった。と呟くと私も、と竜崎がか細い声で言ったあと少し彼が泣いた


 色褪せたはずの世界は君の手にかかればいとも簡単に薔薇色に染まる
 僕と君だけの楽園で君が好きだと言った最高の笑顔でもう一度呟いた、君の本当の名前を
 そして、愛していると


-END-


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 あとがき
 皆様、一万打本当に有難う御座います
 感謝の気持ちを込めてのフリー小説
 最後のページ中途半端に短くて申し訳ありません><
 妄想と私の文才がなかなか肩を並べて走ってくれません
 つまり、未だ未だ未熟者とゆーこと。精進致します

 若しこんな拙い小説を頂いてくれる方いらっしゃたら報告は任意なのでお好きにどうぞ〜^^
 でも報告してくれたら嬉しいです。私が(笑)

 皆様此れからも宜しくお願いします
 芹沢から愛をこめて!!


yura serizawa